信じてもらえないかもしれませんが… あなたを愛しています

 食事もとらずに、樹はホテルの自室に帰った。
部下に連絡するには遅い時間だったが、秘書の江本郁子に迷わず電話した。
勤勉な江本は2コールで電話に出た。

「俺だ。」
『社長、何かございましたか?』

「森下彩夏の情報をすぐに送ってくれ。」
『は?』
「だから、森下…。」
残念そうな江本の声が被った。

『社長… 以前からお伝えしていますよね…。』
「何を?」
『私が社長の代わりに彩夏さんと連絡を取った内容はすべて
 社長のプライベートフォルダに入っております。』
「…そうか?」
そうです(・・・・)!』

「わかった。じゃ。」


 突然鳴った電話は、また直ぐに切れた。
江本はため息をついた。彼女は先代の雄一郎社長の時から働いている。
事情があって、後継者は(・・)の樹になった。
跡継ぎの樹は仕事では手が掛からない優秀な男だったが、
プライベートでは頭を抱えたくなる事ばかりだった。
対人関係を築くのが苦手なのか、人の心を読み取って忖度出来ないのか…
口数が少なく、解りにくい。
若さと堅実な仕事ぶりで今はカバーしているが、今後が心配だ。
しかも、祖父の遺言で結婚した相手とも関わりたく無いのか放置状態だ。
たった今、彩夏の事を聞いて電話して来たのが奇跡のように思えた。

『奥様の事、どうなさるおつもりかしら…』

 中学生の頃からその成長を見てきたせいか、
秘書と言う立場を超えて、森下彩夏とは親しくしてしまった。
そもそもは、先代社長と森下牧場のオーナーの口約束から始まった縁組だ。
それでも、自分が二人の橋渡し役になるのだと感情移入し過ぎたかもしれない。
ひとりの会社員としては反省せねばならないところだが、
樹の態度を詫びる意味でなら許されるだろう。

 彼女は家族の縁の薄い子だ。姉の様に母の様に見守ってきたつもりだ。
出来るなら彩夏に、複雑な樹の心を解きほぐして欲しかった。
彼もまた、家族に恵まれていなかったから。

 




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