おじさんには恋なんて出来ない
その男性の名前が『日向辰美』だと後から知った。
ライブの予約のメール通知を見て美夜は飛び上がるほど喜んだ。
ライブの予約が、というより、日向から来たからだ。日向が見に来てくれるのなら、もっと頑張ろうと思えた。
日向は毎回観にくる熱心なファンではない。週に二度はやっているストリートも、来たり来なかったりだし、ライブもまだ一度しか来ていない。
いや、新規の客だから様子を伺っている段階かもしれない。楽しいと思えばこれから来てくれるだろう。
それから美夜は日向をよく観察するようになった。
この日も美夜はストリートのために駅前に来ていた。美夜が準備しているとファンの何人かがやってきて、割と近い場所を陣取った。
そしてピアノを弾き始めて少し経って、離れた位置に日向が現れた。離れたといってもそれほどではない。ピアノを聞いているのか、それとも待ち人を待っているのか、ぐらいの微妙な位置だ。
それでも物販が終わると必ず並んでくれて、声を掛けて投げ銭を入れてくれる。
「日向さん、こんばんは」
「こんばんは。今日もいい演奏でした」
「ありがとうございます。今日も、お仕事帰りですか?」
「そうなんです。仕事場が近い時しか来れなくて。本当はもっと来たいんですが……」
ということは仕事場はこの近くなのだ。もしかしたら通勤の定期で行ける範囲内にしているのかもしれない。
だが、「もっと来たい」という言葉をきいて、美夜は少し浮かれた。
「僕は音楽に詳しくないんですが、MIYAさんはグランドピアノのみたいな楽器では弾かないんですか」
「弾きますよ。でも、会場にあったりなかったりするものなので、必ずってわけにはいかないんです。大きいホールだとありますけど、その分借りるのにお金がかかったりするのでなかなか……」
美夜だって本当はグランドピアノで弾きたい。電子ピアノだと弾いた感じがしないし、細かい音はやはり《《本物》》の方がきちんと表現できる。
以前は家にあったが、美夜の母親が亡くなった時に処分してしまった。調律するのにおお金がかかるし、グランドピアノを持ち込めるような一人暮らし用の賃貸マンションはなかった。
「そうですか……いや、きっとグランドピアノで弾いたら綺麗だろうなと思ったんです。すみません。素人考えで」
「いえ、私もそう思います。だから CDの音源はちゃんとグランドピアノで弾いてるんです。その方が雰囲気も出ますしね」
「いつかグランドピアノで弾いてるところを見てみたいですね」
本当にそうできたらどんなにいいだろうか。だが、大きなホールは借りるだけで何十万もする。そこにスタッフや音響、照明を入れたらもう諭吉数十枚では足りない。その金を捻出するだけの経済力は現時点で自分にはなかった。
しかし、日向がそうやって期待してくれていることは嬉しかった。
────それにしても、日向さんって本当にいい人だなぁ。
お客さんとしても素晴らしいが、人間としても素晴らしい。美夜にとっては理想のお客さん像であり、恋人像だった。
音楽に理解があって、価値観を尊重してくれて、自分のピアノを褒めてくれる。絶対にいないだろうと思っていたが、こういう人もいるのだ。
美夜はつい、日向の手を眺めた。日向は指輪をしていない。ということは、独身だろうか。こんなふうに自由にお金を使っているし、帰る時間も気にしていないようだからおそらく独身だ。
「なにか?」
「────あ、いえ! なんでもありません。ありがとうございます」
ジロジロみていて変に思われただろうか。
日向はかなり年上だ。年齢を聞いたことはないが、十五は離れているように見える。
しかし彼自身はあまりおじさんくさいところはない。落ち着いているし、どちらかといえばダンディ、イケおじという表現が合っているのではないだろうか。
────何馬鹿なこと考えてるの。日向さんが私みたいなお子様相手にするわけないじゃない。
ライブの予約のメール通知を見て美夜は飛び上がるほど喜んだ。
ライブの予約が、というより、日向から来たからだ。日向が見に来てくれるのなら、もっと頑張ろうと思えた。
日向は毎回観にくる熱心なファンではない。週に二度はやっているストリートも、来たり来なかったりだし、ライブもまだ一度しか来ていない。
いや、新規の客だから様子を伺っている段階かもしれない。楽しいと思えばこれから来てくれるだろう。
それから美夜は日向をよく観察するようになった。
この日も美夜はストリートのために駅前に来ていた。美夜が準備しているとファンの何人かがやってきて、割と近い場所を陣取った。
そしてピアノを弾き始めて少し経って、離れた位置に日向が現れた。離れたといってもそれほどではない。ピアノを聞いているのか、それとも待ち人を待っているのか、ぐらいの微妙な位置だ。
それでも物販が終わると必ず並んでくれて、声を掛けて投げ銭を入れてくれる。
「日向さん、こんばんは」
「こんばんは。今日もいい演奏でした」
「ありがとうございます。今日も、お仕事帰りですか?」
「そうなんです。仕事場が近い時しか来れなくて。本当はもっと来たいんですが……」
ということは仕事場はこの近くなのだ。もしかしたら通勤の定期で行ける範囲内にしているのかもしれない。
だが、「もっと来たい」という言葉をきいて、美夜は少し浮かれた。
「僕は音楽に詳しくないんですが、MIYAさんはグランドピアノのみたいな楽器では弾かないんですか」
「弾きますよ。でも、会場にあったりなかったりするものなので、必ずってわけにはいかないんです。大きいホールだとありますけど、その分借りるのにお金がかかったりするのでなかなか……」
美夜だって本当はグランドピアノで弾きたい。電子ピアノだと弾いた感じがしないし、細かい音はやはり《《本物》》の方がきちんと表現できる。
以前は家にあったが、美夜の母親が亡くなった時に処分してしまった。調律するのにおお金がかかるし、グランドピアノを持ち込めるような一人暮らし用の賃貸マンションはなかった。
「そうですか……いや、きっとグランドピアノで弾いたら綺麗だろうなと思ったんです。すみません。素人考えで」
「いえ、私もそう思います。だから CDの音源はちゃんとグランドピアノで弾いてるんです。その方が雰囲気も出ますしね」
「いつかグランドピアノで弾いてるところを見てみたいですね」
本当にそうできたらどんなにいいだろうか。だが、大きなホールは借りるだけで何十万もする。そこにスタッフや音響、照明を入れたらもう諭吉数十枚では足りない。その金を捻出するだけの経済力は現時点で自分にはなかった。
しかし、日向がそうやって期待してくれていることは嬉しかった。
────それにしても、日向さんって本当にいい人だなぁ。
お客さんとしても素晴らしいが、人間としても素晴らしい。美夜にとっては理想のお客さん像であり、恋人像だった。
音楽に理解があって、価値観を尊重してくれて、自分のピアノを褒めてくれる。絶対にいないだろうと思っていたが、こういう人もいるのだ。
美夜はつい、日向の手を眺めた。日向は指輪をしていない。ということは、独身だろうか。こんなふうに自由にお金を使っているし、帰る時間も気にしていないようだからおそらく独身だ。
「なにか?」
「────あ、いえ! なんでもありません。ありがとうございます」
ジロジロみていて変に思われただろうか。
日向はかなり年上だ。年齢を聞いたことはないが、十五は離れているように見える。
しかし彼自身はあまりおじさんくさいところはない。落ち着いているし、どちらかといえばダンディ、イケおじという表現が合っているのではないだろうか。
────何馬鹿なこと考えてるの。日向さんが私みたいなお子様相手にするわけないじゃない。