ふたつ名の令嬢と龍の託宣
 そのときアンネマリーの瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちた。

「あたたかい……」

 そう言うと、アンネマリーはあたりを見回した。アンネマリーの涙がカイの肩にすべり落ち、カイは突如、世界を取り戻した。

 水を得た魚のように動かなかった体の自由が戻ってくる。思い切り息を吸い込むと、ふわりとアンネマリーのいい匂いがした。

 ――このままアンネマリーの全てを奪いたい。

 突然カイはそんな衝動に駆られた。自分ならばいとも簡単にそれができてしまうだろう。

 ふいにあの可哀そうな王子の顔がよぎった。欲する者の手には届かず、そうでない者はたやすくそれを手に入れる。

 託宣は呪いだ――

 そう言ったのは誰だったろうか。

 カイはハインリヒに特別な感情は抱いていなかった。イジドーラの大切な人間の、大切にしたかったもの。
 ただそれだけだった。

< 272 / 678 >

この作品をシェア

pagetop