ふたつ名の令嬢と龍の託宣
「あの、マテアス」
「はい、なんでしょう? エラ様」
「何かわたしに言いたいことがあったのでは?」

 エラの問いにマテアスが笑顔のまましばらく動きを止めた。

「あの、さきほど時間が欲しいと……」
「ああ、申し訳ありません。扉の前に羽虫がいたので、排除したまでです。お気遣いいただきありがとうございます」

 そう言うとマテアスはエラの手を取り、恭しく腰を折った。

「ですから、わたしにそういうことはしないでほしいと」

 エラが手を引きながら一歩下がろうとすると、マテアスはやんわりとその手に力をいれた。

「エラ様は大切なお客様ですから、公爵家としましては最大限のおもてなしをするのは当然の事です」
「大変恐縮ですが、お気持ちだけで結構です。わたしはお嬢様の侍女としてこちらに参りました。できればわたしに付けていただいた侍女も、リーゼロッテお嬢様付きということにしてもらえませんか?」
「それはいたしかねますねぇ。彼女はエラ様の侍女として雇われた者と、ご納得いただけたと思っておりましたが。もし、彼女が気に入らないのであれば、他の者にお替えいたしましょうか?」
「いいえ、彼女はよくやってくれています。そういうことではなくて、わたしではなくお嬢様の侍女のひとりとして働いてもらえたらと」
「エラ様」

 マテアスは静かな笑みをエラに向けた。

「エラ様の侍女としての矜持(きょうじ)はご立派です。ですが、こう考えてみてはいかがでしょう? エラ様が侍女に身の回りの世話をさせることによって、世話をされる側の気持ちを体験できます。する側とされる側では、見える景色もまた違うでしょう。される側の立場から、ここをもっと改善してほしいと感じることなど出てくるかと思います。そうすれば侍女として、新たな気づきも得られるかと」

 すべては、リーゼロッテ様のために。マテアスが最後にそう付け加えると、エラは鳶色の瞳をこぼれんばかりに見開いた。

「リーゼロッテお嬢様のために……」

 エラがつぶやくように言うと、マテアスはゆっくりと頷いた。

 エラの行動のほとんど全てはリーゼロッテが中心となっている。エラはリーゼロッテからお礼を言われたことはあっても、不平不満を言われたことはない。やさしいお嬢様の事だから、エラに直してほしいことがあっても遠慮して言わないだけかもしれないのだ。

 しかし、自分がお嬢様の立場を体験することで、よりリーゼロッテのためになることができるようになるかもしれない。

「では、エラ様付きの侍女は、そのまま継続でよろしいですね?」

 マテアスにうまく丸め込まれたエラは、侍女の世話を受け入れるべくあっさりとこくりと頷いた。

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