ふたつ名の令嬢と龍の託宣
 しばらくするとジークヴァルトは、クッキーを取ろうと伸ばしていた指先を、おもむろにリーゼロッテの顔へと向けた。ジークヴァルトの手首を掴んでいるリーゼロッテの手も、自然とその動きについていく。

 ジークヴァルトの手のひらは、何の迷いもなくリーゼロッテの頬に添えられた。そのまま、触れるか触れないかの力加減でリーゼロッテの唇を親指の腹ですいとはらった。どうやら唇に残ったクッキーのかけらが気になったようだ。

 リーゼロッテが動かないのをいいことに、ジークヴァルトの指は唇の上をゆっくりとさらに一往復した。

 一連の動作に固まっていたリーゼロッテの顔が、みるみる真っ赤に染まっていく。狭いソファの中を最大限に後退去(あとずさ)るのと同時に、ぼぼんっ!とリーゼロッテの手のひらどころか全身から緑色の光が飛び出した。

「おお、見事にお力が出ましたねぇ。素晴らしいです、リーゼロッテ様」

 パチパチと手をたたきながら、マテアスはそれとなく主が責められない方向にもっていく。従者として主のためにこのくらいはして差し上げないと。

 その甲斐あってか、リーゼロッテは目を白黒させているだけで、抗議の声は上がらなかった。

 しかも先ほど、主の欲情に伴ってざわつきかけた異形の者が、リーゼロッテの放った力であっさり浄化されていた。一瞬の出来事だったが、マテアスの糸目はそれを見逃さなかった。

 それがなければ、マテアスは蹴飛ばしてでもジークヴァルトを止めていただろう。仮の執務室まで破壊されてはたまったものではない。

(リーゼロッテ様のお力次第では、今後も部屋を死守できるかも……)

 それが甘い考えだったとマテアスが身をもって知るのは、無情にもそれからほんの数日後のことであった。

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