ふたつ名の令嬢と龍の託宣
     ◇
「本当にここから降りるのか?」

 腰にロープを巻き付けたマテアスに、公爵家の護衛の制服を身に着けた厳つい大男が、心配そうな声音で言った。ロープはそのままテラスの手すりに括りつけられている。

 ここは屋敷の四階にある部屋のテラスだ。ちょうどこの真下に執務室がある。
 執務室にははめ殺しの窓があるだけだが、マテアスはここから降りて窓から執務室に入れないか試すつもりだった。

「ええ、ヨハン様はとりあえず周囲を見張っていてください」

 腰に巻いた命綱とは別に、マテアスはもう一本太めのロープを手すりに括りつけて下に垂らした。結び目が緩まないようにと、手すりに足をかけて引っ張るように結びつける。ヨハンがそれを引き取って、素手のままぎりぎりとさらにきつくロープを縛りつけた。

「しかし、このような荒事をマテアス自らしなくとも……。何ならオレが降りるが」
「ヨハン様の巨体ではロープが持ちませんよ。それに一体誰があなたを引き上げるというんですか」
「う、まあ、それはそうだが」
「とにかくヨハン様はここで待機です」

 マテアスはもう一度腰に巻き付けたロープの結び目を確かめてから、テラスの手すりをひょいと飛び越えた。そのまま何の躊躇もなく垂らしたロープを掴んでするすると降りていく。

 普段は公爵領政務の補佐として書類仕事ばかりしているマテアスだが、子供の頃からジークヴァルトの剣術の稽古の相手を務めてきたので、それなりに体は鍛え上げている。

 ヨハンに荒事と言われたが、体を動かすことは嫌いではない。机にかじりついて山積みの書類にうずもれるより毎日よりも、よほど性に合っているというものだ。

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