僕を、弟にしないで。僕はお義父さんの義息子になりたい
「うっ」
紫月さんは突然、口を手で覆った。紫月さんの手を引いて、走ってトイレに行く。自分が虐待のせいでよく嘔吐をしていたから、紫月さんが吐きそうになっているのがすぐにわかった。
トイレについた瞬間、紫月さんは便器に物を吐いた。口から出てきた汚物は、昨日食べたチャーハンと、スイーツが混ざったような色をしていた。紫月さんの背中をさすって、吐くのを促す。紫月さんは涙を流しながら、ひたすら物を吐いていた。紫月さんはトイレに行ってから二十分くらいが経ったところで、やっと吐くのをやめた。
脱力している紫月さんの顔についている涙や涎を、トイレットペーパーで拭う。紫月さんは俺の顔を一瞬だけ見ると、すぐに下を向いた。
「何で、何で蓮は起きないんだよ」
喉仏から発せられたその声は幼い子供のように弱々しくて、掠れていた。
「蓮に、蓮に会いたい。会って、真相を確かめたい。警察にあの縄を提出して、調べてもらうのは嫌だ。あいつ自身の口から説明して欲しい。何もかもを」
口から零れたそれは、叶うハズもない願望だった。
もう八年も眠っているのに、今更目を覚まして何もかもを喋ってくれるなんてありえない。そんなことが起きたら、たぶん、奇跡だ。
紫月さんの瞳からは、未だに涙が溢れていた。紫月さん自身も無理だと思っているから、涙が流れているのかもしれない。
紫月さんの顔についている涙を、俺は指で拭った。
「なあ、蓮夜」
紫月さんは俺の手を掴むと、それを勢いよく握った。
「いっ!」
「何で、何でお前はこんなにも簡単に痛みを感じることができるのに、蓮はそんなこともできないんだ?」
植物状態だからだとは言えなかった。
手を通して、紫月さんの心が痛んでいることを伝えられているきがした。
「できてないわけじゃないよ、きっと」
口から出たそれは事実じゃなくて、紫月さんがどんな言葉を言って欲しいのかを考えて、言ったものだった。言葉を選ばないと、紫月さんが壊れてしまう気がしたから、俺はそう言った、
「え」
紫月さんの手から力が抜けた。
「きっと弟さんは痛みを感じているけど、それを伝える手段がないだけだよ」
「うっ」
紫月さんは赤ん坊のように、声を上げて泣いた。
「取り乱して悪かった、蓮夜。支度しよう。お母さんにお礼、言いに行かないと」
ひとしきり泣いたところで、そう紫月さんは言った。
「え、お義父さん、大丈夫なの?」
「大丈夫」
紫月さんは確かにそう言った。でも全然、大丈夫には見えなかった。泣きすぎたせいで目は充血していて、声はいつもと比べ物にならないくらい小さい。
「お義父さん、お礼は明日言いに行こう。今日は家で、ゆっくりしようよ」
明日になったら元気になるとは確信できなかったけれど、今外に出るのはあまり良くない気がした。せめてもう少し紫月さんの心が落ち着いてからでないとダメな気がする。