政略結婚ですが、身ごもったら極上御曹司に蕩けるほど愛されました
 夕暮れの街を、柚子は足早にプライマリーホテルへ向かっている。ホテルまではすぐ近くのはずなのに、やたらと遠くに感じられる。ここのところ食欲がなくて少し体力が落ちているのかもしれない。気持ちはこれ以上ないくらい逸っているけれど、息が切れて走ることはできなかった。
 人の流れから避けるようにところどころで休みながら、柚子はようやくホテルへ着く。
 一旦エントランスで立ち止まると、少し呼吸を整えた。胸が張り裂けそうなほど緊張している。
 冷静に考えたら柚子は翔吾がなんのためにホテルにいるのかを聞いていない。必ずしもラウンジにいるという保証はない。
 でもなぜかはわからないけれど、彼はラウンジにいる、そんな気がして、ホテルの中に入るのが怖くて怖くてたまらなかった。
 もし彼が姉と会っていたら自分はどうすればいいんだろう。
 やっぱり柚子との結婚は解消して、姉と結婚したいと言われたら?
 姉が立ち上げた会社の業績は順調だと父が言っていた。社長として着実に実績を積み、より魅力的になっているであろう姉の沙希。そんな彼女に、翔吾が再会してしまったら、やっぱり彼女がよかったと、彼がそう思ったとしても全然不思議ではない。
 もしそうなったら、自分はいったいどうすべきなのか、柚子は自分に問いかけながら、ホテルに足を踏み入れる。
 大人しく黙って身を引く?
 これでよかったのだと、大好きなふたりを祝福して?
 愛する人との短い結婚生活はほんのひとときの短い夢、見られただけいいじゃないかと諦めて?
 所詮自分は姉には敵わないのだから……。
 でも。
 でも……!
 まだ整わない息を弾ませながらロビーを見渡すと、噴き出した汗がこめかみから顎まで伝った。
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