ミニトマトの口づけ
唐揚げの匂いが車の中に広がる。
ひっくり返さないように膝の上に置いているので、腿があたたかかった。
家が近づくにつれ、元々なかった食欲はいっそうなくなっていく。
着いたときには、道端に放り投げたいほどに持て余していた。
降りようとしない私を寺島先生は促さなかった。
ただ黙って隣にいる。
「先生」
ボソリと呼び掛けた声に、先生は気配だけの反応を返した。
「よかったら、お弁当はうちで食べて行きませんか?」
「いいえ」
いつでも好きにさせてくれた寺島先生が、即座に断った。
「でも、お家まで持って帰ると冷めちゃいますよ」
「電子レンジがあるので大丈夫です」
「でも、お漬物も入ってるし」
「漬物があったかくても俺は気になりません。なんなら冷めたまま食べてもいい」
「でも、先生だってお腹すいてるでしょう?」
「平気ですよ」
「でも、」
先生の頑な態度に、私はほとほと困っていたけれど、先生は態度を変えなかった。
でも、でも、でもね、先生、でも……。
「紀藤さん」
叱られた子どものように、私は先生をちらりと見た。
「何でも言うこと聞いてあげますから、その代わりはっきり言ってください」
しばらく待ってみたけれど、寺島先生は全然助けてくれない。
微笑みを浮かべることも、軽口で引き取ることもしない。
茶色がかった瞳は、夜の中で深い色合いをしていた。
「もう少し、一緒にいて」
エンジン音に掻き消えそうなほど小さな声を、先生はちゃんと拾った。
「『もう少し』ってどのくらい? 五分?」
「先生、意地悪」
「俺は紀藤さんが言うほど“いい人”ではないですよ」
私はうつむいたまま、先生のジャケットの袖を強く握った。
「ずっと、一緒にいて」
抱きしめられると、汗と消毒薬の匂いがした。
目で見てもわからないほどかすかに髭が伸びていて、頬にサリサリと当たる。
お弁当は傾いて、胡瓜のしば漬けが飛び散っていた。
ひっくり返さないように膝の上に置いているので、腿があたたかかった。
家が近づくにつれ、元々なかった食欲はいっそうなくなっていく。
着いたときには、道端に放り投げたいほどに持て余していた。
降りようとしない私を寺島先生は促さなかった。
ただ黙って隣にいる。
「先生」
ボソリと呼び掛けた声に、先生は気配だけの反応を返した。
「よかったら、お弁当はうちで食べて行きませんか?」
「いいえ」
いつでも好きにさせてくれた寺島先生が、即座に断った。
「でも、お家まで持って帰ると冷めちゃいますよ」
「電子レンジがあるので大丈夫です」
「でも、お漬物も入ってるし」
「漬物があったかくても俺は気になりません。なんなら冷めたまま食べてもいい」
「でも、先生だってお腹すいてるでしょう?」
「平気ですよ」
「でも、」
先生の頑な態度に、私はほとほと困っていたけれど、先生は態度を変えなかった。
でも、でも、でもね、先生、でも……。
「紀藤さん」
叱られた子どものように、私は先生をちらりと見た。
「何でも言うこと聞いてあげますから、その代わりはっきり言ってください」
しばらく待ってみたけれど、寺島先生は全然助けてくれない。
微笑みを浮かべることも、軽口で引き取ることもしない。
茶色がかった瞳は、夜の中で深い色合いをしていた。
「もう少し、一緒にいて」
エンジン音に掻き消えそうなほど小さな声を、先生はちゃんと拾った。
「『もう少し』ってどのくらい? 五分?」
「先生、意地悪」
「俺は紀藤さんが言うほど“いい人”ではないですよ」
私はうつむいたまま、先生のジャケットの袖を強く握った。
「ずっと、一緒にいて」
抱きしめられると、汗と消毒薬の匂いがした。
目で見てもわからないほどかすかに髭が伸びていて、頬にサリサリと当たる。
お弁当は傾いて、胡瓜のしば漬けが飛び散っていた。