ミニトマトの口づけ
14. 雨音と気配

いっぱいに吸い込んだスポンジから、水が漏れ出すように、翌日は雨が降った。
眠ったという自覚もないまま眠り、目覚めると朝だった。
夢うつつに、雨音を聞く。

「……あめ」

目を閉じていても、けぶる湿気に混ざって、寺島先生の匂いがする。

「雨ですね」

先生はもう目覚めていたらしい。
意識のはっきりした声だった。
同時にふっと雨音が聞こえなくなる。

「あ、やんだ」

「またすぐ降りますよ。夜中からずっとそんな感じだから」

ふぅん、と先生の肩にもたれたら、迷惑そうにため息をつかれた。

「『夜中からずっと』って、先生寝てないんですか?」

「寝られると思いますか? これで?」

「我慢なんてしなければよかったのに」

「順番って大事でしょ」

「じゅんばん?」

「三回くらい食事して、映画とか買い物にも行って、それから『家に来ますか?』って」

「真面目だなぁ」

ガラス瓶色の瞳を見つめたら、じろりと睨まれた。

「すぐに寝ちゃったくせに」

「だってあったかかったんだもん」

乱れた先生の髪に、私はやわやわと指を絡ませる。

「眠い。仕事休みたい」

「じゃあ、一緒にお休みします?」

私は来月から別の歯科医院で働くけれど、今日からひと月お休みだ。

「休んじゃえ、休んじゃえ。それで今日はずっとこうしていましょう」

「遠慮なく誘惑しますね」

「だって先生、この程度で誘惑されたりしないでしょう?」

たっぷり五秒、先生は私の目を見つめて、それから諦めた。

「仕事行く」

「はい」

「でも帰ってくる」

「はい」

「一緒に食事に行きましょう」

「はい」

「それで紀藤さんに、いっぱい聞きたいことある」

「私の誕生日は十月二十日です」

「知ってる」

枕に頭を乗せて、ふふふ、と笑った。

「先生には、何でもお答えします」

心底意外そうに、茶色の目が見開かれた。

「いいの?」

「はい」

「本当に?」

「はい」

その質問を、先生はガラス板の上を歩くみたいに怖々口にした。

「…………前の彼氏って、イケメンだった?」

「はい。とても。切れ長のくっきり二重で、鼻筋が通ってました。顔もちっちゃかったし」

間髪入れずに答えたら、先生は、最悪だ、と頭を抱えた。

「聞かなきゃよかった」

「あ、先生って、一重かと思ってたけど、よく見たら奥二重」

「一重でしょ」

そんなことどうでもいいよ、と両手で顔を覆ってしまう。

「奥二重ですよ。角度によって二重になるから。ねえ、もう一回見せて」

純也の部屋の天井を、はっきり覚えていなくて当然だ。
いつだって私は、こんな風に愛するひとばかり見ていた。

「紀藤さんの白目って、少し青いよね」

私にまぶたをいじられながら、先生は言う。

「そうですか?」

「うん。初めて会ったときから、そう思ってた」

そういえば、初めて先生がやってきた日も雨だった。
足元を濡らした新入り歯科医を、唐突に思い出す。
気づけばまた雨が降っていた。

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