愛を知らない操り人形と、嘘つきな神様
『どうせ何をしても殴られるなら、せめて父さんの機嫌を損ねないようにして、暴力の度合いを少しでも軽くしないと』
そんなふうに考えるようになったのは、虐待が悪化してから、一ヶ月もしない頃だった。
父さんは虐待がバレるのを懸念しているから人三倍悲鳴に敏感で、俺が声を上げるとすぐに機嫌が悪くなる。
そんな父さんからの虐待から一刻も早く解放されるには極力暴力に抵抗しないようにして、悲鳴を上げないようにするのが一番だ。
つまり虐待から早く解放されたいなら、何も考えず、人形のように父さんの意向に従うべきなんだ。
それに気づいてから、俺は父さんに極力反抗しないようにした。そうした方が虐待をされる時間が短くなると思ったから。さっきもそうしたおかげで、俺は三時間くらいで解放された。
多分抵抗してたら、あの時間ではとても済まなかった。きっともっとたくさん、甚振られていた。
要は俺は最も有効な選択をした。
でもその行いは、自分の意思を殺したことに他ならない。
俺は父さんに反抗したいっていう意思を、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだって想いを無理矢理押し殺した。そうしないと、もっと酷い目に遭うと思ったから。
「おい、風呂から出たならそれくらい教えろよ」
部屋のドアを蹴られ、低い声で囁かれる。
ドアを蹴られただけで身体が震えて冷や汗が出た。
嗚呼。
……人形になりたい。
いつもいつも無理矢理嫌なことをされて、屈辱や痛みを味わうハメになるくらいなら。いつもいつもこんなに精神をすり減らすハメになるくらいなら、いっそ感情なんかなくなればいい。
だって感情がなくなれば、苦しいとも痛いとも辛いとも考えずに済むのだから。どうせ逃げられないなら、感情は不要だ。あっても、辛くなるだけだ。
そう分かっているのに、俺はいつまで経っても感情をなくすことができない。
感情があるから、抵抗しないようにしなきゃと思っても、心の何処かで抵抗をしたいと思ってしまう。父さんをなぶり殺してやりたいって思ってしまう。まあそんなことをする勇気は、これっぽっちもないけど。
――逃げたい。逃げられないなら、自殺したい。
辛い目に遭いたくない。痛いのも苦しいのも、辱めを受けるのも嫌だ。そういうことを毎日、さながら喋る人形のように堪えるくらいなら、自殺をした方がよっぽどマシだ。
あるいは、さっさと刃物とかで殺されたい。