追憶ソルシエール
「……気づいてないかと思ってた」
「それ、どっちかっつーと俺のセリフじゃない?」
「え?」
片手で傘を持ち、もう片手をポケットに入れたまま、軽く首を傾げてじっと見据えられる。
「俺のこと、もう忘れちゃった?」
忘れてない。忘れられるはずがない。今日も同じ、ムスクの香りが微かに鼻を掠めて懐かしさを覚える。
「……覚えてるよ。西野くん、でしょ」
そ、とひと言呟いて口角を上げた彼は再び歩き出す。
忘れられるもんなら、とっくに忘れてる。それができないから困ってるというのに。
逃げないよ、と意味を込めて隣に並ぶと、おかしそうにふっと笑われる。やっぱりやめておけばよかったと即後悔するも、また一歩後ろに下がるのも気にしてるみたいで行動には移さなかった。
「てか、知らないやつなんかに傘貸したりしねーよ」
隣を見上げれば、続けて「俺そんな優しくないからね」と自嘲気味にわらう。
そんなことないと思う。自分自身を犠牲にしてまで人に傘を貸すような人が、優しくないはずがない。改めてお礼を伝えれば、「いーえー」と間延びした返事が来た。
ふわり、近くを通り過ぎた木々から金木犀の香りがした。先日の雨の後だからか、花はいくつか落ちてしまっているけれど、いつにも増して香るそれに秋を感じた。