あなたとはお別れしたはずでした ~なのに、いつの間にか妻と呼ばれています



和花は絵を描き始めると、いつも父の声が聞こえてくるような気がしている。

『和花、ちゃんと目の前の物を見るんだよ』

父は口調こそ穏やかだったが、はっきりと意見を言う人だった。

『見てるよ、お父さん』
『形じゃなくて、そのものを見るんだ』

『わかんない』
『ハハハッ、まだ小さいからなあ』

あれは、まだ小学校に入った頃だっただろうか。
和花に絵心のようなものをなんとか教えようと父が話してくれたことがある。

『そうだ、和花。目の前のものに話しかけてごらん?』
『モノとお喋りするの?』

『そうだよ。花でも、木でも、果物でも、石ころでも』
『お返事ないよ、お口がないもの』

『じっと、聞いててごらん。いつか返事が帰って来るから』

そんなふうに、父は色々なことを教えてくれた。
言葉では言えないことも、絵なら表現できると教えてくれたのも父だった。
色々なもので溢れかえっている世界でも、自分に必要なものだけを見極めるのが大切だと教えてくれた。

(お父さん、大好きだよ)

あの頃の和花の力では、父を救うことができなかった。
父の病に気付くこともできなかった。

(あの時から、後悔ばかりだ)

助けて欲しいと頼んだ樹に無視されたことが、何年たっても棘となって心を刺す。
彼だけのせいではないと頭ではわかっている。
それでも樹を許さずにいることが、和花にできる父への弔いだ。

二度と恋に溺れないために、あの時の痛みを忘れてはいけないと和花は決めたのだ。


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