あなたとはお別れしたはずでした ~なのに、いつの間にか妻と呼ばれています
消えない恋心


たとえ漫画の一場面だけの背景だとしても、和花は描くことで自分の世界に没頭していた。

大翔に頼まれた大きな木の絵。
一ページ全部を使って、そよ風に揺れる木の葉の動きまで感じられるように描き込んでいく。

この大きな木が演出するのは、主人公が恋人と出会うシーンだと大翔から聞いている。
幼い頃に出会ったふたりが大人になって恋に落ちるストーリーらしい。
 
(いつき)さんと出会ったのも大きな木の下だった)

細かくペンで木の葉を描きながら、和花は思い出していた。



***



和花が高校一年生、樹が大学四年の夏にふたりは出会った。

デッサンスクールでは毎夏恒例の集中合宿があり、和花は大翔や佐絵子たちと蓼科に行った。
草原の近くにあるウッドハウス風のコテージに泊まり込み、朝から夜遅くまでひたすら絵を描き続けるのだ。
三日目にはもう全員クタクタになって腕は痛いし頭はボーッとしてくるのだが、その方がいい絵が描けるらしい。

その日、参加者たちは自分の好きな場所を選んでスケッチをしていた。
和花は気になっていたの白樺の木を描くつもりだった。ポツンと一本だけ離れたところに生えているのを不思議に思っていたからだ。

白樺林から、どうしてその木だけ別れてしまったのだろう。
寂しくないのかな、悲しくないのかなと思いながらキャンバスに向かっていた。

(一本だけなのに、どうしてそんなに堂々としていられるのだろう)

和優はその美しい姿を描くことに集中していた。

そんな時、不意に後ろから声を掛けられたのだ。

「へえ~、君、上手だね」

低いが良く通る声だった。
折りたたみイスに座ったまま振り返ると、意外に近い距離に整った顔立ちの男性がいた。
恥ずかしくて、すぐに俯いてしまったのを覚えている。

それが、大翔の兄、武中樹との出会いだった。



< 15 / 130 >

この作品をシェア

pagetop