すべてが始まる夜に
「私ね、長野出身だから、海でこんな風に過ごすの憧れだったんです。いつか彼氏ができたらこんな風にデートがしてみたいなって。ずっと叶わなかったけど……」

「まだ叶ってないのか?」

「えっ?」

「今こうして俺と一緒にいるのは、茉里の中ではまだ彼氏とデートじゃないのか?」

どこか切なそうな、悲しそうな、そんな表情で私を見つめる。

「正直わからないの。叶ってるのか? って聞かれたら、こうしてデートみたいなことができてるから叶ってるし、叶ってないのか? って聞かれたら、悠くんは本当の彼氏じゃないから叶ってないでしょ。だけど今ひとつ言えるのは、悠くんが本当の彼氏じゃなくても、こうして一緒にここに来れたことがすごく嬉しくて、楽しくて……。上手く言えないけど、悠くんにレッスンをしてもらうようになってから毎日が今とても幸せなの。あれだけ経験がないことで悩んでいたのに、悠くんのおかげで少しずつ自信がもらえて、悩んでた日々から解放されて……。だから悠くん、ほんとにありがとう。私は悠くんに何をお返ししたらいいのかな?」

部長が突然歩くのをやめてその場に止まった。
私の顔をじっと見つめているけれど、その表情からは何を思っているのかは読み取れない。

部長は、茉里──と呟くと、両手で私の頬を覆った。
何か言いたそうなそんな感じがするのに、何も言わず、黙ったまま私を見つめ続ける。
そして、口を開きかけた部長はまた口を閉じて、そのまま私のおでこにコツンと自分のおでこをぶつけた。

「悠、くん?」

「俺……本当の彼氏じゃないもんな……」

小さくて消え入りそうな声で呟く。
どうしてこんなにも悲しそうに聞こえるんだろう。
部長に感謝していること、部長と一緒にここに来れたことが嬉しいということを伝えたかっただけなのに、私は何か部長を傷つけるようなことを言ってしまったのだろうか?
< 285 / 395 >

この作品をシェア

pagetop