すべてが始まる夜に
「冷えてきたな。そろそろ部屋に戻ろうか?」

部長が優しい表情で尋ねてくる。
これは2人で一緒にいるときだけに見せてくれる、甘い笑顔だ。
さっきまでこの笑顔が当たり前だと思っていたのに、あと残り1ヶ月のレッスンが終わってしまったら、もう二度と私には向けてもらえなくなると思うと、怖くて仕方がない。

「まだもう少しここにいる?」

「ううん。大丈夫……」

コーヒーカップを返却して、部長と一緒に部屋に戻る。
泣いてしまいそうになるのを必死で堪えながら部屋に戻ると、室内は暖房の暖かい空気に包まれていた。

「やっぱり、部屋の中は暖かいな」

「うん、ほんとだね……」

「茉里、夕飯の予約が18時なんだ。まだあと2時間くらいあるから、一緒に露天風呂入ろっか?」

「あっ、えっと……、いっ、一緒に……?」

「そう、一緒に。だって、レッスンだろ?」

だって、レッスンだろ──。

ニヤッと甘い表情で見つめてくれる部長の言葉が、心の中にズドンと突き刺さる。

部長はレッスンするという理由で私と一緒にいてくれて、彼氏のふりもしてくれて、こんな風に優しく接してくれているのだ。

今日のクリスマスイブを恋人同士のように一緒に過ごすのだって、私にレッスンをしてくれるためだ。
私を好きだから一緒にいてくれるわけじゃない。
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