sugar spot
ビルを抜けて、△社の大宮オフィスへ向かうために駅を目指すべき筈の足を止めた。
ジャケットのポケットからスマホを取り出して、メッセージを確認すると、あの能面からは相変わらず曲が送られてきていた。
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あの日、私を中華屋に連れて行った有里は、最初こそ仕事の話を少ししたけど後は一切、その話題を持ち出さなかった。
バンドメンバーのこの店のお気に入りのメニューはどれだとか、最近のラジオでまた新曲を作ってると話していたこととか。
好きなことに関する話だからなのか、いつもより少しトーンの高い気のする声は、心地が良かった。
「…あ、私こっちの線だから。」
「ああ。」
そこそこ話し込んで、中華屋を出た私達が駅の地下で交わしたのは、拍子抜けしてしまうほどに健全な別れだった。
もうこれは「じゃあ」を告げたらきっとまた背中を向けてお互い歩き出してしまう。
「……有里。」
「何。」
「…あの、さ、」
聞かなきゃ。
だって、ずっと、聞きたかったことだ。
"なんであの時、キスしてきたの?"
"なんで今日も、態々会社まで戻ってきたの?"
だけど、もうずっと心に貼りついたモヤモヤのせいで、私は言葉を紡ぎ出せない。
「おい。」
「……何。」
「お前は器用じゃないくせに、無理をすんな馬鹿。」
「…は?」
前言撤回したい。
健全な別れではなく、険悪な別れになるかもしれない。
近づいてきて、睨む私を軽々と見下ろす身長の高い男が、溜息を落とす。
「"他のことで頭いっぱいです"みたいな顔して、無理やり俺とのことも決着つけようとすんな。」
「、」
全てを見透かしたような眼差しに、一瞬で動けなくなった。
「なに、?」と乾いた声で尋ねてしまう。
「今お前、△社の件で他にそんな余裕無いだろ。」
「……、」
「他のこと後回しで良いから、とりあえずそれなんとか決着つけろよ。
別に俺らは、"いつでも"話出来るだろ。」
ぶっきら棒な言葉のくせに、なんなの。
なんか、頑張り終わるまで待ってる、とか、
そういう風にこちらは捉えてしまうんだけど。
この能面男は、ちゃんと自覚しているのだろうか。