sugar spot



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そこから数週間が経った。

ちひろさんとは、業務を教わったり外ランチへ行く回数を重ねるごとに私の緊張もより取れてきて、くだけた会話も出来るようになってきた。

たまに瀬尾さんのことを聞いたら顔を真っ赤にして話を懸命に逸らすちひろさんは可愛くて、仕事面は勿論尊敬しっぱなしで、一緒に過ごすほどに大好きが募る。


私も早く、ちひろさんみたいになりたい。

…そう思いつつ、ランチの豚汁定食をたいらげてオフィスに戻って、数十分。


「……梨木ちゃん…」

隣で声をかけてくれるちひろさんの言葉にさえ
反応が上手くできないくらいに。




_____私は、絶望させていただいている。



自分達のデスクがある一角から少し離れたオープンスペースは、コーヒーメーカーやお菓子コーナーなんかもあって、他部署の人とのコミュニケーションを促すための工夫が沢山施されている。

その中央にあるお洒落なデスクを占領する
大量の本の山がざっと、5つほど。

一冊がそれなりの分厚さを誇るため、もはやその景色は圧巻にさえ思えてきた。


ただ茫然とその光景を見つめていると、そこを通り過ぎる人々が興味と驚きの目を向けているのも流石に伝わる。

「………え、どうしたのあのカタログの量。」

「なんか新人ちゃんが配送方法間違えてカタログ発注しちゃったらしくて、慌ててうちのオフィスで引き取ったらしいよ。」

「あちゃー…地獄だね…」


本当に、"地獄"をつくりあげてしまった。


きゅ、と拳を握り締めたら掌に爪が当たって痛む。でもそのくらいの痛みがあった方が、自分を保っていられる気がした。


昨日の自分の行動を思い出しては後悔が募るけど、今更もう、遅すぎる。



_______

『あ、梨木さん!カタログ発注お願いできる?』

ちひろさんの外回りに珍しくついて行かず、黙々とデスクで顧客データの入力をしていると、同じ営業部の先輩にそう声をかけられた。

『お疲れ様です。カタログって…?』

『担当している取引先にこの時期うちのカタログを送るんだけど、配送処理し忘れててさ。
俺今から明日まで出張で、代わりにやって貰えると助かるんだけど、発注のやり方わかる?』


春から夏にかけて、オフィスの移転やリニューアルを考えているお客さんが増え、うちは所謂"繁忙期"を迎える。
ちひろさんだけではなく、営業1課の皆さんが日々慌ただしく仕事へ向かう様子を歯痒く見守るしか出来ない時もまだまだ多い。


『発注システムの使い方、この間研修で学びました!』

『おー!じゃあお願いしていい?
送りたい企業リストは事前に全部登録してるから、カタログ発注のボタン押せば大丈夫!ごめん、よろしくね!』

『はい…!』

リストを手渡されてそれを受け取った瞬間、そのまま荷物を抱えて出て行く先輩を見送って。
私でも役に立てることがあると、気合を入れてシステムを立ち上げた。

配送予定の冊数が500冊を超えていて、その多さに緊張はしたけれど発注の処理は先輩が言うようにあまり難しい動作もなく。
さほど迷うことなく【処理完了】の画面になったから、安堵していた。



_____だけど。

今日、ちひろさんと外ランチから戻って来たら私に気づいた営業部の課長に「あ、梨木!」とちょっと慌てたように名前を呼ばれた。




『はい…?』

『昨日、発注システム使った?』

『…あ、はい、カタログを発注しました。』

『…その配送タイプ、ちゃんとエンドユーザー指定にしたか?』

『………え?』

課長からの問いかけには上手くついていけないのに、もう既に「自分が何かをしでかした」のだと言うことは悟って、嫌な汗が全身に滲む。



『……梨木ちゃん。』

喉がどんどん渇いていく私の隣で一緒に聞いていたちひろさんは、課長から受け取った資料を見ながら、優しい声色のまま言葉を続ける。


『カタログの配送方法は、2つパターンがあってね。

私達が営業活動してる取引先、つまりエンドユーザーさんに直接届ける場合と、うちの家具を仕入れて売ってくださってる販売店さんにまとめて配送して、そこから各お客様に代わりにカタログを届けてもらう場合ね。

発注書見てると、今回は、販売店さんにまとめて500冊送る配送方法を指定してるね。』


___"担当している取引先にこの時期うちのカタログを送るんだけど、配送処理し忘れててさ"

『……すみません。前者の、エンドユーザーさんへ直接届ける配送方法で、発注するよう頼まれてました。間違え、ました。』

『そっか。
課長のおっしゃる通り、配送タイプの選択ミスですね。すみません、私も何も把握していませんでした。』

昨日の先輩の言葉を思い出してそう伝えると、ちひろさんはやはり穏やかな声色のままに私に頷いて、課長にそう説明と謝罪をした。



『なるほど。
販売店さんも見覚えないカタログが500冊も届いたらサプライズだな。今連絡来たんだよ。

これ梨木に頼んだの、速水《はやみ》だろ。
あいつ今日まで出張なんだよなあ。』

『確かにサプライズですね。
大丈夫です、私が代わりに販売店さんに連絡しますね。』


課長も、ちひろさんも、全然怒ってはいない。
むしろ「速水もちゃんと梨木に説明してから頼めよなあ」なんて笑っていて、その優しい空間に余計、視界が滲む。


自分が引き起こした失敗に

『…すみませ、ん、』

とやはり乾いた弱い声の謝罪をするしか出来ない。


『…梨木ちゃん。大丈夫だよ、私もごめんね。
後ね、大変伝えにくいんだけど、地獄はここからなんだよね。』

『……え?』

肩をぽんぽんと叩いて苦く微笑んだちひろさんの言葉の意味を理解するのは、そこから約2時間後だった。
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