sugar spot
このあまりに気まずい状況を、どうすればいいのか。
相変わらずチラシを握りしめて突っ立っている私は、すぐ隣の男をうまく見られない。
ガヤガヤと人混み特有の騒がしさの中で、
不可思議な沈黙が漂っている。
「……お前。」
「え、」
でも、それを破ったのは意外にも能面の方だった。
思わず顔を上げると、走ったせいか、首元に滲んだ汗を手の甲でくいと一度だけ拭って、そのまま鋭い視線がぶつかった。
「…その赤い目、何。」
「、」
ついさっきまで、南雲さんと話をしていたら涙腺が緩んで殆ど流れかけていた涙の余韻は、まだ目元にきちんと残っていたらしい。
あんたのせいだなんて、口が裂けても言えない。
「か、花粉症…、」
「このくそ暑い時期に?」
「…の、名残り、…」
苦しい。
あまりに苦しくて吐きそうな言い訳のクオリティに、居た堪れなさを抱えていたら、隣からは盛大な溜息が落ちた。
整った横顔は、高い鼻筋がよく分かる。
きめ細かい肌は、いつも通り色が白い。
でもなんだか今日は、ちょっとあまりにも血の通いを感じられない青い白さも感じた。
「あんた、走るの苦手だったの。」
「は?」
「だってまだ息切れてるし、なんか、いつもより、」
今しがた感じた顔色の悪さも伝えようとしたのに。
「…ちょっと馬鹿は黙ってろ。」
また軽く汗を拭いながら、怪訝な顔のままに、そう腹の立つ言葉で制された。
結局、そうだ。
こっちが歩み寄ろうとしたって、
この男にそんな気は更々無い。
「…なんなの、用事済んだなら元の持ち場に戻りなよ。私1人でも、ビラ配りくらい出来る。」
この男がそばに居ると、
私は、とにかく心も身体も掻き乱される。
苛立ったり、鼻の奥が痛くなって視界がぼやけたり、
そのくせ心臓が煩かったり、今すぐに逃げ出したくなる。
__そうして、突っぱねる言葉だけは、
スルスルと出るようになった。
『じゃあやっぱり今から、言わないと。』
ああ、南雲さんにも、そう言われたのに。
でも今更、もう無理だよ。
諦めを自覚して、チラシに視線を落としながら、男がきっと去っていく様子を視界に映さないようにする。
「……ここでやる。」
「え、」
「ビラ配り。俺も、ここでやるから。」
どこか怠そうに、Tシャツの袖をビラを持つのと逆の手で捲る男を、思わずもう一度見つめる。
「……なんで?」
「お前、俺が何で此処まで来たか分かってんの。」
素直に吐き出た質問にすぐ、逆に質問を食らった。
「……南雲さんを呼びに来たんでしょ?」
「それだけでこんな走るかよ。」
男の答えを得ていく度に、
鼓動のスピードも増していく。
どういうこと。
さっきあんたが「緊急だ」って言ったんじゃなかったの。
一向に知りたい気持ちが交わらない会話に、ただ男を見ていると、その薄い唇が再び開いた。
「…焦った。」
「…は?」
何が、と問いかける前に男はまた言葉を放つ。
「____お前が、泣いてる気がしたから。」
そうして、久しぶりにちゃんと向き合って告げられた最後の言葉に、即座に反応が出来なかった。