蒼月の約束
しかし自分の足で町へ行くのは時間がかかりすぎることを知っていた。
目を閉じ、魔術の書で学んだ術を思い出す。
瞬間移動の呪文を唱えると、心臓が脈打ち、内側から何かドクドクしたものが沸き上がった。
長い間、忘れていた興奮にも似た感情が、出番を待っていたかのように少女の体内を渦巻いた。
そしてヘルガが目を開いた時には町のはずれに到着していた。
町は騒がしかった。
人でごった返し、大声でヤジが飛び、殴り合いも起きていた。
人々の垣根をくぐり抜け、ヘルガは兄を探した。
きっと、どこかにいるはずだ。
そう信じながら。
しかしどれだけ町を走りまわっても兄の姿は見つからなかった。
真上にあった太陽が傾き、影が伸びて来たころ、疲れ果てた足が悲鳴を上げ始め、ヘルガはその場に座りこんだ。
どうにか兄を見つけないと。
「…ヘ、ルガ?」
聞き覚えのある声がして、少女は顔を上げた。
「いた」
安堵の声が漏れた。
ボロボロになった兄が、目の前に立っていた。
体には何か重い物で叩かれたのであろう傷や泥がこびりつき、頭からは血が滴り落ちていた。
足を折ったのだろうか、枝を杖の代わりにして体を支えている。
「一体何が…?」
昨日までの面影が全くない兄に抱き着くようにヘルガは駆け寄った。
「ちょっとな」
いつものように笑おうとするが、顔が腫れているせいで不細工に歪んだだけだった。
「ロダは?昨日の夜…」
そう言いかけるヘルガの手を取って兄は歩き出した。
「帰ろう」
足を引きずっている兄との帰りはかなりの時間を要した。
ボロボロになった兄の前で、魔術を使うこともできず、ただ支えるしか他なかった。
何があったのか、一切口にせず、家に到着したときには、夜が明け、太陽が少し顔を出した時だった。