Diary ~あなたに会いたい~
 「もちろん、奥さんのことは話したわ。
でも、興信所の人に監視されてるみたい
だから、しばらくは距離を置こうって。
あの人も大変だったみたい。お子さんも
難しい年頃だし、これ以上家庭に波風立て
たくないんでしょう。別れるつもりはない
けど、落ち着くまでは連絡も控えようって」

 肩で息をついて、尚美は顔を上げた。
 今の話を聞く限りだと、部長から尚美に
対する罪の意識や誠意はあまり感じられない。
 それでも、僅かでも彼女が救われたような
顔をする理由は、“別れるつもりはない”とい
う、たったひと言だろう。

 家庭を壊すつもりはないが、
彼は不倫をやめるつもりもないのだ。

 少し複雑な顔をしてじっと尚美の横顔を
見つめていた俺にくるりと顔を向けると、
彼女は微笑した。

 「バカな女だって思ってるでしょう?」

 「いや。それはない、けど」

 唐突に、本心を見抜かれてしまった俺は、
上手い言葉を見つけられずに口ごもった。
 けれど、次の瞬間、不意に頭に浮かんだ
言葉を、どうしてか口にしてしまった。

 「部長とは……このまま続けていても、
先はないだろう?だったら、ここで終わら
せた方が、おまえのためになるんじゃない
かとは思うよ。結婚できない男といたって、
時間の無駄だろうし」

 今までの俺なら、考えられない言葉だった。

 そもそも、部長との関係が不毛だと言うの
なら、“結婚”に繋がらない俺と尚美の関係も
不毛だ。
 
 しかも結婚に挫折し、恋愛にすら臆病になっ
ているのは、他ならぬ俺自身だった。

 尚美はぴたりと表情を止めたまま、俺の目を
覗き込んでいた。
 
 呆れてしまったのだろうか?
 要らないことをいって悪かった、と、謝ろう
とした時、尚美はすっとキッチンの方へ視線を
向けた。

 「結婚って、心を縛るものじゃないのよ。
ただ、相手の自由を縛るだけなの。だから、私
はあの人に離婚してほしい、なんて一度も思っ
たことないし、時間が無駄だなんて思ったこと
もない。あなたとの時間だってそうよ。ちゃん
と意味があって、一緒にいるつもり」

 尚美が視線を向けた先には、部長と並ぶ、ふた
りの写真があった。
 
 “愛おしい”と口にしなくても、彼女の横顔か
ら、眼差しから、確かに伝わってくる。
 俺は、そうか、と小さく呟いたあと、「悪かっ
たな。要らないこと言って」と、天井を仰いだ。
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