初老アイドルが一般人女子との恋を成就させるまで

突然、今まで受動的に質問に答えることしかしてなかった部長のよっちゃんが、大きな声をあげ、全員の視線が彼女に集中した。



「何、どうしたのよっちゃん」
「先生やんなよ!」
「は!?」
「だって先生、“国立劇場の女王”じゃん!」
「その呼び方語弊があるからやめて!」
「どういうことですか?」



盛り上がる演劇部員たちをほほえましく思いながら、暁は部長のよっちゃんに問いかける。
するとよっちゃんは、興奮した様子で口を開く。



「茜先生も、高校時代に演劇部で全国大会に出たことがあるんです」
「へぇ」
「で、その時上位4校に選ばれて、国立劇場で上演したんです!」
「え、国立劇場って、あの国立劇場?」



と、それまで何とも言えない表情をしていた航太が、急に会話に入ってきた。
突然の食いつきの良さに、茜もよっちゃんも少し驚く。



「すごいね。国立劇場って、基本歌舞伎とか日舞とかしかやらないよね。俺もやったことないもん」
「もう、10年以上前のことなので…」



耳を赤くしながら謙遜する茜は、とても恐縮した様子で明らかに重心が踵にあり、とてもとてもこの場からいなくなりたそうに見える。



「それなら大丈夫ですね!」
「何がですか?一仁さん」
「え?茜先生がリーダーの相手役やることですよ」
「いやいやいや、おかしいです、おかしい」
「でも、部員の皆さんも楽しみにしてますよ?」



そう一仁に言われて、茜がばっと部員の方を振り返ると、部員たちはキラキラとした眼を茜に向けている。
それはとても純粋な期待をはらんだ眼で、「やらない」とはとても言えない空気だ。



「……やらさせていただきます」



腹を括るしかない、茜がそう思うのは無理もない話だった。




それから、茜は予備で残しておいた『春、死なん』の台本の1冊を航太に渡した。



「うちの一仁がすみません…。よろしくお願いします」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします」



茜と航太は簡単に動きの打ち合わせを行い、その間、他の3人のメンバーたちは、部員たちにインタビューしたりして、2人の準備が済むのを待った。



「準備OKです」



航太がそう宣言すると、部員たちと暁・琉星・一仁は、出入り口のある側に横並びに座った。
部員たちは、これから始まることに対しての期待で、一様に落ち着かない様子だ。



「じゃあ、主人公千代と特攻兵荘太郎の別れのシーンやります」



先程とは打って変わって、茜からはあたふたする様子がまったく影を潜めていて、実に真剣な面持ちだ。
それは勿論航太も同じで、先ほどまでの雰囲気は微塵も感じられない。



「よっちゃん、始まりの合図お願い」
「はい」



茜にそう頼まれたよっちゃんは、少し緊張した様子で、返事をした。
その緊張が隣り合ってる部員たちへと伝播して、張り詰めた真剣な空気が部室に流れ始めていた。



「それじゃあ、いきます。よーい、はい!」



その掛け声とともに、手が一度叩かれた。それは、芝居の世界が始まる合図だ。
ただの部室だった部屋が、一瞬にして舞台になる。
舞台上では、航太と茜、いや、荘太郎と千代が互いに見つめあっている。




『…どうされたんですか?』
『……千代さん』
『はい』
『……沖縄奪還のための作戦に、参加することになりました』



荘太郎の言葉に、千代は瞬間、表情を変える。けれど、心の内の動揺を努めて外に出さないよう、震える唇で言葉を紡ぐ。



『いつ…、発たれるんですか?』
『…明日、です』
『明日…』



告げられたタイムリミットに、千代は言葉を失う。
目の前に、今確かにいるこの人は、明日にはこの世からいなくなってしまうのだ。
自分でもどうしていいか分からず、千代は荘太郎から視線を外して俯いた。



『…千代さん』



荘太郎の声に、千代はハッとして顔を上げる。



『今まで…、ありがとうございました』



そう言うと、荘太郎は千代に背を向け、歩き出す。
その時だった。



『待って!!』



千代の呼び止める声に、荘太郎は思わず立ち止まり、振り返った。
その瞬間、荘太郎、いや、航太の目は、彼女から離せなくなった。


千代は、強い瞳で荘太郎を見つめている。その口元は何かを言おうと微かに動くが、言葉が見つからないのか、その唇から言葉が零れてくることはない。
しかし、言葉にならなくても、彼女の瞳が雄弁に、彼女の想いを語っていた。


「行かないで」、「死なないで」、「生きていて」、「あなたが、好きです」。


荘太郎は、千代から目を離せず、そこから動くこともできなかった。
どれくらい、そうしていたのか。数秒のような気もするし、まるで何時間もそうしていたような気さえ、荘太郎には感じられた。
と、不意に千代の表情がくしゃりと歪んだ。



『……ごめんなさい』



そう、消えそうな声でつぶやくと、千代は荘太郎に背を向け、走り去っていった。
後に残された荘太郎は、思わず追いかけそうになるが、それをしなかった。
いや、できなかったの方が正しいだろう。
一人残された荘太郎は、千代の去った方をただ見つめていた。
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