目覚めたら初恋の人の妻だった。
俺の事だけを

一那 said 3

柚菜は交通事故にあって記憶を失くし、俺達の結婚生活どころか
付き合っていた事実さえ忘れてしまっていた。
退院する時に実家に帰りたいと言われた時には泣きたくなった。
あんなに楽しい日々を過ごしていたのに、それを全部忘れ、
まるで他人を見るような目で俺を見る。
触れようとすると、緊張する身体に誰に対して怒れば良いのか解らないほどに
腹立たしさを覚えた。
なによりも「カズ兄」と呼ばれた時には絶望しかなかった。
「カズ君」と呼ばれていたのに、夏の旅行で香菜が余計な一言を言ってから
柚菜は頑なに「カズ兄」としか呼ばなくなった。
その言葉を聞くたびに「俺はお前の兄貴じゃない!」そう怒鳴りたい
衝動に駆られたのをきっと香菜も柚菜も知らないだろう。
大っ嫌いだったその呼び方が。
漸く”一那”って呼んでくれるようになって、自分の名前が好きになったのに
今、又 嫌いになりそうだ。

佐倉家で、柚菜を実家で療養しようと言う話になり、心底焦る。
どうして漸く一緒になれた俺と柚菜を引き離そうとするのか、
どれほど柚菜が居ないと俺がダメになるかどうして誰も解って
くれないのだろう。
必死に説得して出社の時に佐倉家に送って行き、帰りに佐倉家に迎えに行く事で
なんとか一緒に居られる許可を貰った。
お義母さんは柚菜と俺の事を諸手を挙げて祝福していない事は解っている。
その理由はなんとなく気がついていたが敢えてその話をしないでいたのは
香菜が何も言わずに家を出たから。
香菜のセンシティブ事を自分の口から言うわけにはいかないから多分、
誤解しているとは思っているが、説明する状況には至らない。

だけど、いい加減に気がついて欲しいと思っている。
俺がどれ程に柚菜を愛しているか、初めてデートに連れ出した時からの
自分の行動を見てくれていたら解ってくれていると思っていた。

お義父さんには昔から伝えて来ていたし、香菜が1人暮らしをする時に
香菜は父親に金銭的な援助をして貰っていたから、話したのか、
察しているのかは知らないが柚菜と俺との事は祝福してくれている。

だからお義母さんにも伝わっていると思っていたが、今回の事を鑑みると
伝わっていないのでは・・・と考えてしまう。
もし、誤解していたとしたら・・・そう考えると何とかしないとと焦るが、
今は柚菜の怪我の回復と記憶が戻る事を一番に考えないと。

柚菜が落ち着いたら、キチンと説明をしよう。

入院中、毎日のように会社が終わると病院で過ごすが、柚菜の態度は
高校時代に戻ってしまったかのように他人行儀で、距離を感じる。
今まで当たり前の様にしてきたキスも抱きしめる事も出来るような雰囲気には
ならず、こちらが近づけば余計離れてしまう感覚に襲われる。
どうしてそこまで距離を取ろうとするのか解らなくて不安しかない

どんなに話しても自分と結婚していた事が信じられない様子の柚菜に
俺のスマホのアルバムを見せると、凝視し、「ふぇっ!」と変な声を発し
固まってしまった。
「そんなに吃驚するような事?」と少し意地悪な雰囲気で口にしてみると
真っ赤になった柚菜が
「だって・・・これなんて頬と頬がくっついている・・」
「当たり前だよ・・・こんな写真幾らでもあるよ・・もっと柚菜が真っ赤になる
写真だってあるぞ」
そう言って今まで柚菜にすら見せ事の無い写真をタップする。
「な、な、なに この写真    っう」
「なんだと思う???」
「わたしの 寝顔   だけど   」
「‥フっ ただの寝顔じゃないのは流石に柚菜さんでも解るよね???」
「ちょ、 ちょっと  どうしてこんな写真を????」
「だって、柚菜がグッタリ気絶するように寝てしまった後だよ  撮るでしょ?
誰のせいで気を失ったか   そう 解るでしょ???」

そう言ってニヤリと笑うと真っ赤になった柚菜が頬を膨らませ、その瞬間
戻った気がして急に涙が出る・・・

「  カズ兄????」
「  ごめん   なんか 俺の柚菜が戻ったみたいな錯覚に・・・」
「 カズ兄・・ゴメンなさい。思い出せなくて・・・」

俺は何もそんな風に謝って欲しかったわけじゃないんだ・・・
ただ、凄く悲しいだけなんだ。
「柚菜、思い出さなくても良いんだ。ただ、俺と結婚していた事を
否定しないで・・・」
「カズ兄・・・・」
「柚菜、俺との事を思い出さなくても良い、だけどカズ兄だけは止めてくれ。
言わなかったけれど、嫌いなんだ・・・柚菜にそう呼ばれるたびに俺を
異性と見てないと言われているみたいで・・・」
「でも、  」
「これ見て・・・」
俺はスマホを見せた。
それはたった8秒程度だが、柚菜と海に出かけた時に撮った動画で
「ねぇねぇ、一那 ほら見て、・・・」そう言って俺に貝殻を見せに来る。
たったそれだけだけれど柚菜の笑顔、俺の呼び方・・・全てが詰まっている。
「・・・・・・・」
「な、俺と柚菜が一緒に居る、呼び方も一那って呼んでいるだろ。
だから思い出すにも以前と同じようにしていた方がキッカケが掴める
はずだ。」
自分でも呆れる位必死に言い訳を口にしている。
「呼べないよ・・・」
「大丈夫だ。 前も同じ事を言っていたけれど、ほら あの通り普通に
呼んでいるだろ」
「 前は どういう状況で呼ぶ様になったの?」
「クッ  最初はマキシムのナポレオンパイだ!」
「え??」
「あのパイ、好きだっただろう? 店が無くなった後にパティシエを
探し出して特別に作って貰ったんだ・・で、食べたければ呼び捨てにって
柚菜、あっという間に俺を一那って呼んだぞ。今は食事制限もあるし、
口の中も切れていて楽しめないだろう。退院したら又 頼んでやるから
後払いだ・・先に呼んでくれ・・」
「あの、ナポレオンパイが 又 食べれるの?」
「毎年、誕生日と結婚記念日には食べているぞ!」
「嘘! 忘れているなんて 私 なんて勿体ない事を・・」
「ククク それでこそ柚菜だ!」
「・・・・か ず  な・・」
「うん?  途切れ途切れで 解らないな~」
「もう、 一那の意地悪!!」
「もう一度」
「意地悪!」
「違う! 一那の意地悪って・・」
「え??」
「無意識か・・・今 一那の意地悪って言ったんだよ」
「・・・わたし・・・」
戸惑っているのか瞳が泳いでいる。
柚菜の中に確かに俺は居た・・・そう思うと嬉しくて思わず柚菜を胸に
閉じ込めてしまう。
一瞬、緊張でピクリとしたけれど、少しずつ身体から強張りが無くなる。
「柚菜、柚菜・・思い出してなくても心に少し俺の記憶が残っていてくれて
嬉しいよ。」
「一那、ゴメンね。忘れて ゴメンなさい。」
「良いんだ。今はこれで充分 嬉しいから・・」

こうやって又 抱きしめられただけ幸せなんだ。
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