目覚めたら初恋の人の妻だった。

最初の痛み(柚菜の恋?)


柚菜が高校3年の夏前に体調不良で学校を休んだと、柚菜の姉の香菜に聞き、
講義の後、佐倉家に慌てて向かった。
そこで俺と香菜はテラスから聴こえた柚菜と友達の会話に
一歩も動けなくなってしまった。
柚菜が高校の先生に惹かれて、しかも相手もまんざらでもないと話す
友達の声。
叫びたくなるほどの胸の痛みに息が出来なくなり、顔面蒼白になり、背中から
嫌な汗が流れたのを今でもハッキリ覚えている。

そんな俺を香菜は黙ってその場から連れ出し、加瀬家に向かった。

加瀬家の門を潜った瞬間に頬に伝わるものが自分の涙だと
初めて気がつき、慌てて拭う、その姿を見た香菜が
「ゴメン」と謝ったのは、あの場所に連れて行った事
だと思い、「香菜が気にする事じゃない」と言った俺を
複雑な顔で見ていた。
その「ゴメン」が何を意味していたのか、あの時は解らなかった。
そして香菜は「私がなんとかするから」そう口にしていたが
恋心を止めさせる事なんて出来ない事を、俺も香菜も痛いくらい知っていた。

その後、自分を立て直し香菜と佐倉家に戻り、久々に柚菜を交えて
食事をしたが、そこで香菜は一生懸命、俺を柚菜の家庭教師にさせようと
頑張っていたが、柚菜は俺達の知らない桜華の話をして首を縦に振らなかった。
そして、これが想像以上に柚菜を怒らせたのか、この日から柚菜は21時まで
予備校の自習室から帰らなくなってしまった。
今までは柚菜を見る事が出来たのに、その姿さえも
見れない状況になってしまった。

何時の間にか開いてしまった距離。
さっき、柚菜が口にした桜華・・・中学受験の時に明応学園を希望していた
柚菜を共学校に入学させたくなくて柚菜の父親に過度の不安を与え
味方に付けたのに・・・
それが裏目に出てしまう事になるとは思わなかった。

中学生になって異性を意識する年齢になっても相変わらず
「カズ君のお嫁さんになる」と口にしてくれていたのに
それがある日を境に口にしなくなった事に若干の違和感はあったけれど、
思春期に突入し、照れも出て来たのだと・・口にはしないけれど
思ってくれていると良い方に考えていた。間抜けな俺。

自分だけが柚菜に会えなかったら何かを感じたのかもしれないが、
香菜も距離が出来たと言っていたし、実際に仲良し姉妹だったのに
一緒に行動する事が殆ど無くなったのは、同世代の友達との
交流を楽しんだり桜華がイベントが多いからだと思い込んでいた。

日常生活で会えなくても行事やイベント、家族旅行では時間が取れる。
その時に、普段、会えないのを補えば良いと軽く考えていた。
其れなのに、ある日突然、柚菜は長期の休みに入ると海外にホームステイで参加する
ようになってしまった。
夏の旅行も、クリスマスも年末年始も、春休みですら海外で
過ごしていた。

今でも初めてクリスマスに柚菜が居ないと知った時の衝撃は覚えている。
両親がクリスマスディナーのケーキを考えている場面に遭遇した。
何時も、柚菜が大好きなパティシエが作るチョコレートケーキに
決まっているのに頭を悩ましている両親に
「何でケーキなんかで悩んでいるの?何時ものでしょ?」
「今年は柚菜ちゃんが不参加だから、違うケーキも良いかもねって言う
話しになったのよ。」
「柚菜が不参加?ってなんで?」
「柚菜ちゃん、終業式の翌日からイギリスにホームステイに行くのよ」
「え? 聴いてないんだけど」
自分でも吃驚するくらいの低い声で母を見ると、母は少し戸惑ったように
「桜華のプログラムに参加するみたいよ・・」
学校行事だと思った全員参加の。
「流石、桜華だな・・スケールがでかい・・」
母は何かを言いたそうだったが、父がそんな母の手を握ったからか
口を噤んだ。

それが全員参加の行事では無いと気がついたのは翌春もイギリスに
ホームステイし、旅行に参加しなかった時だった。
流石にこれは・・そう思って香菜に確認すると香菜も困った顔をして
「私もお母さんに聞いたの。そうしたら明応には明応の特徴があるように
桜華には桜華の特徴があって、それに順応しようとしているのだから
余計な事に口を挟まない様にと釘を刺されちゃった」
と笑って口にするけれど、俺は笑えなかった。

そのやり場のない気持ちを持て余してしまうだけだった。
それでも人の気持ちは順応性があるのか、柚菜の参加しないイベントも
慣れてきて、そんなに痛みを感じなくなっていたのは
大学という新しい環境に自分が慣れるのに精一杯だったからだろう。
中高校時代は、香菜が入学してきて傍に居る様になってから
女子からの鬱陶しい告白から逃げられていたのに大学生になると
外部から来た子に告白されるようになってしまった。
柚菜に会えない寂しさから付き合おうかと揺れるが
俺が大学院に進学した時に柚菜が1年生で入学してくる。その時に彼女が居たと
知られたら、今みたいに微妙な関係が続いたら柚菜は確実に
俺を男として見なくなるかもしれない・・そう思うと安易に逃げる
事も出来なかった。
「ズーっと好きな人が居るから付き合えない」
それを繰り返し、告白を断り続けた。
こんなに告白してくれる人が居るのに一番気になる人に
自分は男 として見て貰えているのかさえ解らなくなっていたが
新しい環境に慣れるのに忙殺され、大丈夫なフリをし続けてしまった。

香菜が大学に進学してから以前の様に香菜が傍に居る事が当たり前で
香菜が俺の片思いの相手?と噂になっていたが、そこは香菜も俺も
コメントはしないで、はぐらかす様にしていた。
昔の約束通り。

そう、自分の中では昔の様にそれが免罪符のようななっていた
成長しているのに周りも自分も。

あと、もう少ししたらこのキャンパスで柚菜と一緒に過ごせる。
そう信じてその日が来るのを楽しみにしていた。

その想いに影が差し、不安に陥ったのはテラスでの会話を耳にした日から。

それでも大学生の柚菜と院生の俺との未来を諦められなかったのは
先生と生徒の関係は恋と言うより憧れに近いモノだと。
テラスで見た頬を赤くし、潤んだ瞳を俺は知っている
「カズ君、私と結婚して。」と何度もプロポーズをしてきた時に
見せていた表情と同じだったから。
俺はそんな柚菜が可愛かったけれど、
「柚菜が大人になったらね」と口にしたのは幼い心を恋だと勘違いさせて
大学生になった時に、ただの憧れだったと思われたくなかったから。
柚菜が高校を卒業したら向き合うつもりだった。
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