嘘は溺愛のはじまり
あまりじろじろ見るのは失礼なので、すぐに小さく会釈をして、コーヒーをテーブルに置く。
下がる前に一度きちんと姿勢を正してお辞儀をし終えたところで、伊吹さんに声を掛けられた。
「あ、待って待って、結麻さん。忙しいところ申し訳ないけど、ちょっとだけ待って下さい」
い、伊吹さん……じゃなくて、専務っ、呼び方っ……!
篠宮取締役を前に、私を下の名前で呼ぶものだから、私は焦って伊吹さんのほうを見た。
すると、伊吹さんは楽しそうに笑っている。
えっと、笑いごとではないと思いますっ。
そう必死に目で訴えるけど、伊吹さんはますますクスクスと笑うだけだ。
「……伊吹くんも人が悪いな」
「あはは、すみません、だって結麻さんがなかなか気づかないから、つい」
「まぁ、確かにね」
……え?
篠宮取締役の声や話し方になぜか聞き覚えがあり……私は思わず取締役の方へ顔を向けた。
「……えっ? あ……、マスター……?」
「あはは、やっと気づいた。こんにちは、結麻さん」
「……え、えええっ?」
役員を前にして、失礼かつ間抜けな声を出してしまったけれど、大目に見て欲しい。
だって、お会いしたことがないと思っていたはずの篠宮取締役は、カフェ『infinity』のマスターだったのだから……。