嘘は溺愛のはじまり
「早速ですけど、結麻さん。昨日言っていた、お仕事の件ですけどね」


そう言って、和樹さんが彼女に説明を始めたのが聞こえてくる。

断られたりしないだろうか……。

いや、仕事の方の条件は問題ないはずだ、むしろ小さな印刷会社よりはずっと待遇もいい。


ただ……問題は、住むところだ。これに関しては、断られてしまう可能性が高い。

叔父には完全に呆れられたけど……それでもこれは滅多にないチャンスだ、それを棒に振るほど俺もバカではない。

和樹さんが俺に合図を送ってきた。

ゆっくりと立ち上がり、なるべく威圧感を与えないように気をつけて、彼女の元へ向かう。


「こんばんは。はじめまして」


俺の挨拶に、驚いたように目を丸くして「こん、ばんは……」と、たどたどしく答える。


「篠宮伊吹と言います」


名乗りながら名刺を差し出すと、彼女は少しだけ震える指でそれを受け取った。

緊張しているのがこちらまで伝わってくる。

しかしそんな様さえ愛らしいと思ってしまう。


簡単に仕事の説明をして、次に問題の住む場所の話だ。

いま住んでいるマンションの下の階に空きが出そうだ、と言うのは、本当は真っ赤な嘘だった。

あのマンションは完全に分譲で、もし空きが出てそこへ入りたいとなったら、買い取るしかない。

彼女に払える額ではないのは分かりきっていた。

分かっていてわざと提案したことは、彼女には気づかれていない。


少し不安そうにしていたが、秘書課での仕事を引き受けてくれることになった。

住む場所の話も、彼女に首を縦に振らせることに成功した。


あまり良くないことをしている自覚はある。

それでも、この機会を逃すことだけは絶対に出来なかった――。

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