婚前契約書により、今日から私たちは愛し合う~溺愛圏外のはずが、冷徹御曹司は独占欲を止められない~

婚約記事を見て泣いたことを、宗一郎は知らない。
奈子がそう決めたのだ。

政略結婚だということをわかっているし、宗一郎を問い詰め、もし日葵の推測が正しかったとして、そのときなにを言えばいいのかもわからなかった。
今はただ単純に、意図しない誰かから婚約のことが記者に伝わってしまっただけならいいと願っている。

それは薄ら氷の上を歩くことに似ていた。

でもたしかに、目の前で突然泣きだしたあと樹になにも説明しなかったのは、奈子がいけなかったかもしれない。
日葵にさえ詳しい事情を話したわけではないし、陽気で慎重なところのある樹が、まさか宗一郎を挑発するようなことを言うとは思わなかったのだ。

樹なりに心配してくれていたのだろう。
もしかしたら、最初からそのつもりで車までついてきてくれたのかも。

(なんか、悪いことしちゃったかな)

逃げるように別れてしまったし、奈子は急に樹に謝りたくなって窓の外を覗いた。
目が合うと、樹が誇らしげにニカッと笑う。

奈子は思わず目尻を下げた。
車のそばに立って見送ってくれるふたりに手を振ろうと、右手を上げる。

宗一郎がその手を捕まえ、奈子を運転席のほうに引き戻した。
顎を掴み、噛みつくようにキスをする。
鋭く細められた目に見下ろされ、奈子の頬はパッと熱くなった。

たったそれだけでいい。

宗一郎はすぐに体を離して、すっかり満足そうにほほ笑んだ。

「行こうか」

鬼灯宗一郎はなんでも思い通りにしてしまう。
車がゆっくりと動きだしても、奈子はまだ顔を上げられなかった。
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