冷徹ドクターは懐妊令嬢に最愛を貫く
「吉永先生って男性だったんですね」

 どことなく恨みがましさのにじむ声で蝶子は言う。だが、当の本人はけろりとしている。

「うん、男。おねえでもないし、ノンケだよ」

 聞いてもいないことまで答えてくれる。

「みんな女だと信じてるんだよなぁ。沙良って名前のせいかな?」
「どうして女性的な名前を?」

 真琴が聞くと、沙良は眉根を寄せた。

「それは母親に言ってよ。俺は知らないし~」
「本名なんですか?」 

 蝶子は少し驚いて、聞き返した。あえて女性的な名前をペンネームとしているのだと思ったのだ。もちろん真琴もそう思って聞いたのだろう。

「うん。最初の仕事はノリで引き受けただけで、翻訳家としてやっていこうなんて思ってなかったし。ペンネームなんて考えもしなかったな」
「そうなんですね」

 彼ほどの翻訳家でも、最初は小さなきっかけから始まった。その事実は蝶子にかすかな希望を与えた。

(いや、もちろん私と吉永先生じゃ実力が違うんだけど……でも)

 初日は宴会のみで終わったが、彼はその翌日からきちんと翻訳の仕事を与えてくれた。羽柴の言っていた彼の新しい仕事とは英国人作家のヤングアダルト小説の翻訳だった。ロミオとジュリエットをモチーフにした現代ファンタジーで本国ではベストセラーになっているらしい。蝶子と真琴のアルバイト期間はこの翻訳業務がもっとも忙しい二か月の間という約束になっている。
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