冷徹ドクターは懐妊令嬢に最愛を貫く
「暴力とかネグレクトみたいにわかりやすいものではなかったけど、俺はずっと抑圧されてきた」
「け、けど吉永先生は立派な翻訳家として――」
「仕事では成功したけど、人間としては歪な自覚があるよ」

 沙良は自嘲するような笑みを浮かべた。その瞬間に少しだけ、蝶子にも彼の傷跡が見えたような気がした。

(――同じ、なのだろうか。悲しそうに笑うこの人と私は……)

 なにもわからなかった。彼の抱える闇の深さも、蝶子自身が同じ闇を持つのかどうかも。沙良はぱっと表情を変え、すっかりいつもの軽い男に戻って言う。

「ま、俺の話はどうでもよくてさ」

 沙良はぐいと蝶子の頬をつかんで自分のほうを向かせると、まじまじと蝶子の顔を見つめた。

「結婚はもっと慎重に考えたほうがいいんじゃない? 毒親に育てられると、無自覚にすがるものを求めちゃうんだよ。それは恋とか愛じゃない」

 蝶子は唇を引き結んで押し黙る。

(どうしてみんな同じことを言うんだろう。 晴臣さんも吉永先生も、私はまだ恋などできない子どもだと言いたいの?)

 ムキになっていら立つのは、蝶子自身も不安を感じているからだろうか。蝶子は強く頭を振った。

(違う、私は晴臣さんが好きだもの。家がどうとかは関係ない)
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