冷徹ドクターは懐妊令嬢に最愛を貫く
 そばで聞いていた蝶子の脳裏にも懐かしい顔が浮かぶ。

『百合おばさま』

 蝶子は彼女をそう呼んでいた。有島百合は母、小夜子の友人だった。観月製薬の大切な取引先でもある有島病院の院長夫人だ。
 小夜子がいた頃はこの家にもよく遊びにきてくれて、蝶子をかわいがってくれたものだ。小夜子が失踪してからはすっかり疎遠になってしまったが、会社としては今も付き合いがあるはずだ。

(百合おばさまかな? お元気かしら)

 電話を代わってもらえないかと蝶子は期待していたのだが、紀香は手短に話を済ませ通話を終えてしまった。

「ママのお友達~?」

 さして興味もなさそうに七緒が言う。

「別に。仲よしでもないけど、機嫌を損ねるわけにはいかない相手だから」

 プライドの高い紀香でも、夫の会社にとって有島病院がどれだけ大切かは理解しているようだ。紀香はいまいましげに蝶子に目を向けると、吐き捨てるような口調で言う。

「帰ってきたらしいわよ、あんたの婚約者」
「え……」

 なんのことだか、蝶子はすぐには理解できなかった。だが、続く紀香の言葉でようやく過去を思い出した。

「出ていったあんたの母親が決めたっていう婚約者よ」

 百合のひとり息子である晴臣はたしか蝶子より六つ年上だった。賢く美しい少年だったように記憶しているが、その顔をはっきりと思い出すことはできない。というのも、蝶子と彼が会ったのは数えるほどなのだ。子ども時代からすでに、有島病院の跡継ぎとして彼は忙しそうだった。実際、とんでもなく優秀で中学卒業を待たずに米国に留学したはずだ。
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