酔いしれる情緒
「そうでしたか」
小さく呟かれたそれを聞き流しながら
つり銭受けに視線をあてる。
そこに置かれたのは五百円玉1枚。
数秒待つも、橋本さんはそれ以上お金を出す素振りを見せない。
いや、あと170円は?
私670円ってちゃんと言いましたけど。
レジにだって670円の文字が映し出されているというのに、コイツは一体どこを見ているんだと。
つり銭受けから目前の人に視線を移動させればバチッと目が合った。
どうやらこの人はずっと私の顔を見ていたらしい。
「あなたが話の通じる人で良かった」
「はあ、そうですか。それは良かったです」
「荷物は……そうですね。後日またお送りしましょう」
「いえ、結構です。あれはただの八つ当たりなので。取りに行くほどの大切な物はありませんし、なんなら処分してもらって構いません。」
「そういう訳にはいかない」
「いいって言ってるんです。
あとお金足りてませんけど、買うつもりないんですか?」
冷やかしなら帰れよ。
そう言いかけたが、今は仕事中。
相手は"一応"お客さんであって、
グッとその言葉を堪えた。
「ああ、ちょっと待ってください」
堪えたものの、やっぱりイライラしている私は指で机をコツコツと叩いて催促してしまう。
態度に出すのは良くないが、私をそうさせているのは紛れもなくこの人。
「はい」とポケットから出てきたそれを見て、私の頭は再び熱くなった。
「馬鹿にしてます?」
「いいえ?」
未だにつり銭受けには五百円玉1枚だけ。
そしてこの人の手にはお札と同じ形をした紙が1枚。
細々と何か書かれているけど、読む気もしない。どうせろくでもない物だ。
「これを、あなたに」
「要りません。てゆーか早くしてください迷惑です。買うつもりないならさっさと───」
「あの子の仕事ぶり見てみたくないですか?」
「帰れ」と言葉にする前に口が無意識にもキュッと閉じた。
ドッと心臓が跳ね上がった音。
ジッと目の前の男を凝視してしまう目。
机に置かれたその紙は何かのチケットなんだと、今になってようやく気づく。
「お気に召してくれると思うんですけどねえ」
どうやらこの人は私が頷くまで170円を出す気はないらしい。
そんな中、後ろに人が並び始める。
邪魔だと言わんばかりに睨むが、橋本さんは平然とその場に立ったまま。
ニコリと口元に弧を描くこの人は
私と春の関係をよく思ってない人。
なのに、なんで、
私の気持ちを再熱させるようなことをするんだろう。