腹黒梨園の御曹司は契約結婚の妻を溺愛したい
「驚きましたねえ」
ヘリウムガスのように軽い軽〜いノリで、声が飛んでくる。
「桜枝の若旦那」
柏屋の志村桜枝が、何かっていうとこうして私にちょっかいを出しにくるのだ。

「貴女は三階さんやつけ打ちさんまでお知り合いなんですか」
三階さんっていうのは、大部屋の役者さんのことだ。弟子入りした歌舞伎役者は、まず大勢で使う共同の楽屋に入る。御曹司は別だけどね。この大部屋が歌舞伎座の三階にあったので、大部屋役者のことを三階さんという。定期的にセリフのあるお役がつくことは稀なのに、私が彼らの名前を知っているというのが意外らしい。

でも……梅之丞さん本人の前で三階さんって言うのは失礼じゃないのかな?

「お疲れ様です。お飲み物はいかがですか」
「いただきます」
桜枝さんは左右之助さんの生まれつきの髪色と違って、わざわざカラーリングで茶髪にしているらしい。涼しげな顔立ちの左右之助さんとは真逆の、ちょっと暑苦しい濃いめのお顔立ちだ。世間では若い女性の人気を左右之助さんと二分しているらしいけど、なーんかこの人、見た目も芸風もチャラっとしてるんだよね。まあ、世話物で伊達男を演じるならこれくらいの方がいいのかもしれないけど。

「奥様はワークショップにきてくださったご縁で存じ上げていたんですよ」
梅之丞さんがにこやかにフォローしてくれた。
「ワークショップ……そんなものにまで」
そんなものって。
「……歌舞伎オタクだったものですから」
乾いた笑いが漏れそうになるのをなんとか堪える。

歌舞伎の啓蒙のために各地で時々ワークショップが開催されることがあって、公演と並んでしょっちゅう足を運んでいた。歌舞伎の歴史や衣装、演目などの説明があり、役者さんたちが拵えをしている様子や、型なんかを見せてくれる。最後には小さめの公演があるのが常だった。
大体こういうのは、一人くらいはスター役者がいるけど、説明する部分なんかは下っ端の若手がやらされる。通い詰めているうちに終演後に質問に答えてくれる場合もあったりして、梅之丞さんや寿太郎さんはそこでお互いに顔や名前を覚えたってわけ。
「左右之助くんは幸せですねえ。こんなにもたしなみ深い奥様をもらって」
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