僕惚れ④『でもね、嫌なの。わかってよ。』
 でも、もしもこの状態がもう少し続いていたら、僕は恐らく葵咲(きさき)ちゃんを閉じ込めてしまっていたと思う。

 だから、葵咲ちゃんがそんな風に僕を誘ってくれたとき、それがこの地獄のような日々に対するピリオドに思えて、僕は嬉しくてたまらなかったんだ。

「行く! ――ね、何時に待ち合わせる? 僕、仕事早退してでも間に合わせるからさ。何時でもいいよっ?」

 思わず目の前の葵咲ちゃんをギュッと抱きしめてそう言ったら、「バカ理人(りひと)。仕事はちゃんとしてからにしなさいねっ?」と叱られてしまった。
 でも、僕をたしなめる彼女の口角(こうかく)が、ほんの少し笑みの形に上がっていて、ついでに耳たぶが照れたように赤くなってきているのを僕は見逃さない。

「それにね理人。そんなに焦らなくたって、今日は金曜日だし、その……平日よりはゆっくり……できる……でしょ?」

 僕の胸元に額を押し当てて、葵咲ちゃんが小さな声でゴニョゴニョ言う。

 これを言うだけで照れてしまうとか、僕の葵咲ちゃんは何て可愛いんだろうね?

「あとね……遅く帰るのも……実は昨日が最後だった……から……」

 腕の中の葵咲ちゃんが、ついにここ数日、僕が待ち望んでいた言葉をくれた。
 昨夜のうちに言ってくれなかったのは、「一昨日酷くされたことへのささやかな意趣返しよ?」らしい。

(まいったな……)

 僕の腕の中で身動(みじろ)いで、べーっと舌を出して見せた葵咲ちゃんを見て、その余りの可愛さに、僕はやっぱり彼女には敵いそうにないな、と思ってしまう。
 そのことが心地いいと感じてしまうのも困りものなんだけど。
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