冷徹外科医と始める溺愛尽くしの政略結婚~不本意ながら、身代わりとして嫁ぎます~
 一矢さんが来てくれたと安堵すると、ますます涙が止まらなくなってしまう。

「陽、が、マンションに、来たの……」

 なんとか発した震える声に、一矢さんはちゃんと耳を傾けてくれる。

「一矢さんと、け、結婚するのは……わ、私の、予定だって。夫婦、ごっこは、もうおしまい、だから、出て行けって」

 つっかえながら話す私を励ますように、大きな手が背中を撫でてくれる。

「でも、私、一矢さんだけは、諦めたくなくて、い、嫌だって、何度も言ったの」

 この大きな腕の中に抱きしめられていれば、少しずつ落ち着いてくる。

「優、頑張ったな。俺を諦めないでくれて、ありがとう」

 彼の声がどこか震えて聞こえたのは、私の気のせいだろうか。
 一矢さんは、なんとか話し終えた私の顔に次々と口づけを落としはじめた。その心地よさに身をまかせてそっと瞼を閉じた。


 次に目を覚ますと、そこはもうすっかり慣れ親しんだふたりの寝室だった。そっと辺りを伺うと、ベッドの横につけた椅子に座って、目を閉じている一矢さんがいた。

「一矢、さん?」

 発した小さな声はしっかり彼に届いていたようで、ハッと体を起こした。

「優? 大丈夫か? 痛いところはないか?」

 矢継ぎ早に飛び出す問いかけに、どれほど心配をかけてしまったのだろうかと申し訳なくなってくる。

「だ、大丈夫、です」

 そう伝える声がわずかに掠れてしまった。眉間にしわを寄せた一矢さんは、おもむろに伸ばした手を私の額に当てた。

「熱はないようだね。喉が痛むかな?」

 ゴクリと確かめてみたところ、わずかな痛みを感じる。心配はかけたくないが、お医者様の目をごまかせるとも思えず、素直に頷いた。

「なにも心配いらないから、もう少し休むといい」

 陽の存在がふと頭をよぎって思わず顔をしかめると、一矢さんが優しく口づけてくれた。そのまま大きくて暖かい手で頭を撫でてくれる。

「大丈夫だよ、優。ずっとついているから」

 瞼を閉じるように撫でられているうちに、再び深い眠りに落ちていった。


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