冷徹外科医と始める溺愛尽くしの政略結婚~不本意ながら、身代わりとして嫁ぎます~
「わかりました。気をつけます」

 そうは言っても、自ら愛人の娘だと吹聴するわけがない。
 いくら自分が口を閉ざしていても、悪意のこもった噂話は面白おかしく広げられてしまうものだ。正直、なにに気をつけたらよいのかはまったくわからないが、逆らうわけにもいかない。

「髪を黒く戻したり、常識的な服装を選んだりしても、中身まで変わるわけじゃない」

 一体なんの話をされているのだろう。
 髪を染めた経験なんて一度だってない。そんなふうにしようものなら、すぐさま奥様やお嬢様からお叱りを受けかねないからだ。

 服装も、もうずいぶん前から着ている細めの黒いパンツとオーバーサイズの薄手のパーカーだ。これが常識的かどうかなんてわからないけれど、こういうものしか持っていないのだから仕方がない。

 対する一矢さんは、休日だったにもかかわらずスーツを着ている。それと比べたら、今日という日に私のこの服装が常識的だったとは、とても思えない。

 話の意図がわからず再び視線を上げるも、すぐに後悔した。彼の眉間に寄せられたしわは、私を竦み上がらせるには十分だった。

「生活費代わりに、クレジットカードを渡しておく。君がこれを使用すれば、すぐに俺にわかるようになっている。くれぐれも無駄遣いをしないように」

「はい」

 なにを無駄遣いというのかよくわからないが、ここは素直に従っておくべきだろう。ほんの少しでも食い下がれば、彼はいよいよ声を荒げてしまうかもしれない。


 自由になれるのかもしれない。もしかしたら、相手と心を通わせられるかもしれない。
 そんな淡い期待を抱いて嫁いできたはずなのに、それは初日にして脆くも崩れ去ってしまった――。





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