エリート弁護士は契約妻と愛を交わすまで諦めない
もう無理と声が漏れかけた時、朔が振り向いた。そして、立ち止まって私の手を取り、また走り始める。
私に合わせてスピードを落としつつ、目の前が雨粒で霞む中、しっかりと繋がれた手。朔とは手を繋いだことはある。ただ、幼稚園くらいの話だ。朔がどんどん男になっていくにつれて身体に触れることがなくなっていた。だから、雨の中を走っているのに、身体がすごくカッカと火を噴くように熱くなる。
もともと駅から家は近いので、五分ほどでついた。手を繋いだまま、私の家を通り越して朔の家のほうに駆けこむ。
雨のせいで夏なのに薄暗い玄関。服や髪から落ちた滴が古びたタイルの上に落ちる。
「タオル出す。上がって」
「あ、うん……でも、足汚れてる」
「そんなの気にしなくていい」
そう言われたけどよそ様の家を泥が跳ねた足で上がるのは気が引ける。戸惑っているうちに朔がタオルを持ってきてくれた。
「それで拭けば」
「ありがとう」
髪を拭く。その間上がり框からの朔の視線が突き刺さる。雨音がしとしとと鳴る間にドクドクと自分の心臓の音が大きくなっていくのを感じていた。それを紛らわせるため、慌ただしく肌に張りつく服をさっと拭き、次に足を拭こうとサンダルの留め具を外す。
「っいた」
「どうした?」
朔が足元を覗き込んでくる。踵が擦れて皮膚が赤く血が滲んでいる。
「あー、擦りむいてる。靴擦れ。新しいサンダルだったから」
「消毒液持ってくる」
「あ、いいよ」
「いいから。風呂場で足洗って、俺の部屋上がっとけ」
朔は足を止めず二階を指さした。彼の部屋は二階に上がってすぐの部屋だ。何度か入ったことはあるものの、中学に上がってからはない。
私は濡れた部分を綺麗に拭いてから家に上がり、一階のお風呂場を借りて足を洗った。そして、今度は傷を避けながら足を拭き、玄関正面にある階段を上った。
朔の部屋にはもうほとんど物がなかった。記憶の上でもあまり物がない部屋だったのに、引っ越しの準備も終えて、今はベッドとがらんとした勉強机だけになっていた。それだけで、寂寥感に胸が押しつぶされそうになった。
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