「私の為に、死んでくれませんか?」 ~君が私にキスしない理由~
否定しなかっただけ良かったと思ったのか、社長は一回うなずいて又視線を前に戻した。

そうやって又前に数歩進んだそのとき、突然彼が足を止めた。私はびっくりして顔を上げた。


「…ど、どうかしましたか?」

「…誰かいる」


「誰か」って、まさか、又奴らが?緊張で心臓がまたバクバク騒ぎ始める。私がギュッとシャツを握り、社長はゆっくりと周りを確認した。たしかに、どこかで足音が聞こえる。ガサガサ、地面にあるものを踏みながら、その音は確実に私達の方へ向かっていた。固唾を飲み、いざとなった瞬間は自分が囮になるしかないー!と思ったその時。


「うわー!!」

「うわっ!!」


木の陰からパッと出てきた人物がこっちを見て叫び、私も一緒に声を上げてしまった。驚いて首に巻いていた腕に力を入れてしまい、そのせいで社長がゴホゴホ、と咳をする。あちゃーと思い社長に大丈夫かと聞こうとしたのと同時に、聞き慣れた別の声が聞こえた。


「しゃ、社長?なんでこんなところにいるんですか?」

「先輩?!」

「そこに乗っているのは…綾月か?!お前、俺がどれだけ探して…!!」


うんちしに行ってどれだけ時間が経っても戻って来なかった野島先輩が私を見て一瞬怒ろうとしたが、社長の様子を探りすぐ止めるのが見えた。私は一旦彼のズボンを確認した。良かったことに、先輩はきちんとズボンを履いていて、私が思った最悪のシナリオではないことを確認できた。


(いや、それより!!こっちはこっちで言いたいこと多いですけど!!)


「先輩こそ、なんで戻って来なかったんですか!どれだけ長いうんちだったんですか!!」

「う、うるせぇーよ!こっちはこっちで事情があったんだよ!」

「事情って何ですか、本当にズボンにうんちついて身動き取れなくなったんですか?」

「うっ…」

「え、嘘でしょう?」

図星だったのか、先輩は顔を真っ赤にしてそれ以上答えなかった。私は呆れてもう声も出なかった。そして私の代わりに、それまで私をおんぶしていた社長が口を開いた。


「野島」

「は、はいっ!しゃ、社長がなぜこんな所に?」

「…野島、話の流れを聞いていると、どうやら新人を一人にして勝手に席を外したようだな」

「そ、それがぁ…その、それなりの事情が……」

「新人になにかあったらどうするつもりだった?責任取れるのか?」


先輩はさっきとは別の意味で冷や汗をかいていた。長い時間一人にさせたのはひどいと思ったけど、こうして上からそわそわする姿を見ていると、少し可哀想に思えてきた。流石にいい加減開放してあげようと思った私が声をかけようとしたら、社長が体を曲げ、私をそのまま両腕で持ち上げた。私はまるで箱を渡されるかのように、先輩の両腕に移動した。慌てて私を持ち上げた先輩は私と同じく、「え?」と顔に疑問符を浮かべ社長を見た。


「今日はもういい。野島、お前は綾月を連れてあの世に帰れ」

「は、はい…社長はどうするんですか?」

「私はまだやることが残っている。綾月を部屋までちゃんと送ってくれ」


そう言って、社長はさっさと背を向け、暗闇の中へ消えていった。私は先輩に抱っこされたまま、彼が消えていった方向をぼーっと見ていた。野島先輩もすぐ状況が理解できないようで、私達二人はいつまでも動かずにいた。
そして、この深刻な状況で、私はあることを一つ思いついた。それは、とても大事で、考えたくもないことだったが…確認するしかなかった。


「先輩、聞きたいことがあります。」

「お、おぉ。どうした。」

「…手は洗えましたか?」

「……」


返事が戻ってこない。私は真っ青になり、大きい声を上げた。


「嘘でしょう?!え、まさか、まさか?!?!?」

「お、落ち着け綾月。そ、それなりに処理は…」

「ー嫌だ!!下ろして、今すぐ下ろしてー!」


ーこうして、私の初任務は悲鳴で終わるのであった。
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