黒子ちゃんは今日も八重樫君に溺愛されて困ってます〜御曹司バージョン〜
列はすぐに進むため、見た目ほど待ち時間はかからなかった。

「ここは私が」

そう言いながら繋がれた手を離してもらい、小銭を出した。
煎餅を買って食べられそうな場所に移動するも、ようやく離れた手にはまだ八重樫君の手の感覚が残っている。

「俺ぬれ煎食べたことないんだよね。一口ちょうだい」

八重樫君は私の了承もなしに、私が齧った部分に齧り付くと上目遣いでにっこり笑ってきた。

なんてあざとい子なんだ。

「不思議な感じ。二条さんこんなの好きなんだ」

そうだよね、若者には大人の味だよね。そして私はぬれ煎を好きってわけじゃないのですよ、と心の中で呟いた。

私達はその後、江ノ島を満喫し、次の目的地に行くために橋を渡って戻り、少し歩いて駐車場に着いた。

駐車場には黒塗りの車が止まっていて八重樫君を見つけるなり、出発の準備を整えた。

「あの車って今日一日チャーターしてるの?」

「ん? 内緒」

悪戯っ子の笑みを浮かべて八重樫はそう言った。

教える気はないらしい。これは私のためなのかそれとも八重樫君が歩くのも電車に乗るのも億劫な怠惰な男なだけなのか気になるところだ。

車に乗り込み、海岸線を走っていると映画に出てきた海岸が見えてきた。

人気のない場所を選び車を降りて、私達は浜辺を歩き始めた。

夕刻。

あの映画とちょうど同じくらいの夕焼け具合だ。

「やっぱり映画の方がロマンティックだね」

なんだか残念そうに八重樫君がつぶやいた。

「十分綺麗だと思うけどな。まぁ、あの流れだったからもっと綺麗に見えたのかもね。好きな子と来たら違うんじゃない?」

「確かに……。両想いと気づいた2人が初めてキスを交わすシーン。俺らもキスする?」

何と言うド直球。

でもその前に確かにって言ったよね。

つまりは私のことは好きじゃないと言っているようなもんだよ、八重樫君。

キスなんて海外では挨拶のようなものなのだろうが、私にとってはそんなに軽くできるものではない。

「無理」

私がそう言うと、何故か憂いに満ちた笑顔を浮かべて八重樫君は砂浜を海岸に沿って歩き出した。

キスくらいしてあげるべきだったかな。でも、同情なんかでキスをしたら私の心が取り返しのつかないものになってしまうと分かっている。

そんなことをモヤモヤと考えていると急に立ち止まった八重樫君に衝突してしまった。

「ごめん。考え事してた」

八重樫君は振り向くと悲しそうな表情でそう言った。

「大丈夫です。どうぞ、黄昏てください。私はあの木に座って待ってるから」

浜辺に横たわる大木を指さした。

「ダメ。隣で歩いて」

そう言うと、八重樫君は私の手を取った。

今度は恋人繋ぎだ。

キスを断った罪悪感もあり、応えるように握り返すと、八重樫君はより強く握り返してきた。
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