一途な御曹司は溺愛本能のままに、お見合い妻を甘く攻めて逃がさない
 その夜、もちろん私たちは、最後まで愛し合わなかった。
 タイミング悪く抱き合えなかったことが、私の脳裏に不安をこびりつかせる。

―――昨日は、私が鷹也さんと『したい』って不埒なこと考えてしまった。

 いつのまにか自分の身体も心もつくりかえられている気がする。
 私だけがどんどん鷹也さんを好きになってる。そんな気分だ。

―――
 次の日、自宅に戻って、鷹也さんは仕事へ。
 城内さんはこの日まで会長付きで私の近くにいなかったので、私はイタリア語のレッスンのあと、一人で家の近くを散歩する。

 そうしていると、スーツ姿の男性に声をかけられた。
 黒髪で背が高くて、すっとした一重瞼をした、鷹也さんと同年代くらいの男性だ。

 その男性は、「はじめまして」と言って私にぺこりと頭を下げる。

「日本人、ですか?」
「えぇ。フェミル製薬副社長秘書の安曇成一といいます」

 そう言って名刺を差し出される。

「安曇、さん?」

 これまでパーティーでたくさんの人を紹介された。
 パーティーに行く前もそうだが、パーティーが終わるたびに、名刺やノートに名前と似顔絵を描いて、何度も反芻して覚えるようにしていた。

 私はどうやら物覚えが絶望的に悪いほうで、そんな物覚えの悪い私でも、毎日何度も復習するたびに忘れることがなくなって、今まで会った人であれば覚えてきている自信はでてきたところだ。

 しかし、フェミル製薬の安曇さん、という名前は、どう思い起こしても出てこない。
 というかフェミル製薬の方自体、ヒムロと規模が近い製薬会社なのにお会いしたことがなかったことに今更気が付いた。

 私は安曇さんをまっすぐとらえて、90度のお辞儀をした。

「初めまして。ヒムロヨーロッパホールディングス氷室鷹也の妻の沙穂です」

 そんな自分を名乗る挨拶にもだいぶ慣れてきたころだった。
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