甘やかし婚   ~失恋当日、極上御曹司に求愛されました~
「郁、サインしてほしい書類があるから事務室に行ってくれないか」


「急ぎなのか?」


「ああ」


「……わかった。悪い、沙也。すぐに戻る」


私を気遣うような視線を送る郁さんに、小さく首を横に振る。

そのまま彼はドアを開け放ち、出て行った。


「さて、郁も出て行ったし。沙也ちゃん、本音を聞いてもいいかな?」


いつもと変わらない穏やかな声だけど、風間さんの目は真剣だ。

仕事関係の話なら事前に通しておきそうなのに、急に書類云々と口にしたのはやはり郁さんを遠ざける口実なのだと確信する。


きっと郁さんも薄々気づいてはいるだろうが、風間さんへの信頼と店内という人目のある場所のため任せたのだろう。


「今さらだけど本当にいいの? 響谷家後継者の妻は大変だよ」


「……わかっています」


「この間まで郁との結婚は全否定してたのに、なんで急に気が変わったの? 自暴自棄にでもなった? それとも玉の輿に目がくらんだ?」


あけすけで、ともすれば失礼な物言いが胸に刺さる。

でも、風間さんの目は心配そうに揺れている。


「自暴自棄にもなっていないですし、玉の輿にも興味はないです。むしろ彼が御曹司じゃなかったら悩みはひとつ減ったのにと思っています」


「だったら、なぜ?」


「“悲劇のヒロイン”と言われたので」


「え?」


風間さんが困惑したように眉根を寄せる。
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