甘やかし婚   ~失恋当日、極上御曹司に求愛されました~
「――本当に郁の狙い通りになったな」


「人聞きが悪いな、兄貴」


ダイニングルームに続くドアノブに手をかけようとしたとき、ふたりの声が耳に入った。


「だってそうだろう? 沙也さんはどこの企業ともしがらみがないうえ、お前が手掛けたカフェレストランの重要な取引先に勤務している。おかげで事業はスムーズに進んで、郁の悪評は見事に消え失せた」


「イメージは回復させると以前から話してただろ」


「有言実行すぎる弟が怖いよ」


ハハッと義兄の楽し気な声が漏れ聞こえる。

会話の内容に思わず息を呑んだ。


私の、話なの?


「しかもこんなに早く後継ぎまで身ごもってくれたんだ。おかげで俺は安心して異国で過ごせる。今日親父とおふくろと話をしたが、ふたりとも内心ホッとしているようだったぞ。親父は舞の実家の酒がなによりのお気に入りだからな」


「兄貴を安心させるためだけじゃないが」


「わかってるよ。でもお前、どうせ最初からそのつもりだっただろ」


「……なんで知ってるんだ」


「兄だから。ありがとうな、郁」


……これ以上、聞いてはいけない。


中途半端に浮いた指が、震えて冷たくなっていく。

足がその場に縫い留められたように動かなくなる。

カチンと心が凍りつく音が聞こえた気がした。
< 158 / 190 >

この作品をシェア

pagetop