愛しのフェイクディスタンス



「優奈!」

 湧き上がってくるものは怒りだ。何に対しての怒りなのかもはや理解できないが、誰に対してのものなのかだけはわかる。

 荒々しく細い腕を掴み引き寄せると、優奈は嫌だと抵抗を見せる。二人の声にざわざわと空気が荒れて各フロアのドアから数人がこちらを覗き込んでいるが、正直体裁を気にかける余裕が雅人にはなくなってしまっていた。

 離れようと力を込める優奈の足元がぐらりと揺れて、倒れようかというその瞬間。

「ちょ、ちょっと何!?」
「黙るんだ、優奈。これ以上注目されたくないだろう」

 いっそ心配になるほどに軽い身体をひょいと持ち上げ担ぎ上げる。

「もう十分見られてるので降ろして……!」
「もう少し待つんだ」

 仕事に身が入らない、日々見たくもないものを目の当たりにした疲労。優奈の態度や行動、自分の定まらない思考に感情。そのどれもにうんざりだった。

 暴れる優奈を担いだまま歩き、受付からの動揺に満ちた「お、お疲れさまです……」の声を背に、雅人は乱雑に何度もエレベーターのボタンを押す。

 到着を知らせるベル音と、開き掛けたドアに突進すると中から出てきた人物ともちろん衝突をするが、相手は吹き飛びはしなかった。

「おう、危ねぇな雅人……って、おおい!?」
「急いでる、どけ」
「ああ、悪いな……って違うだろ!? 何やってんだお前、俺が車停めてる最中に置き去りにして行きやがったかと思えばこれか!」
「違う、お前と打ち合わせするつもりだったが変わった」

「変わったって何がだ!?」そう叫ぶ琥太郎を背にエレベーターに乗り込む。
 地下のボタンを連打している間にも優奈が弱々しく背中をポカポカと攻撃しているが、これに関してだけは本当に幼い頃と何一つ変わらない力具合だ。

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