愛しのフェイクディスタンス


 出逢ったのは、近所に住んでいた五歳の優奈。

 初めは照れくさそうに遠くから雅人を眺めて、けれど『優奈ちゃん』と呼びかけると、眩く弾けた笑顔を見せてくれた。

 無邪気に懐く存在は、当時どれほど救いだったのか。おずおずと繋いできた柔らかく小さな手の感触を今も覚えている。

 出逢いから、半年ほど経ったある秋の日だ。

 『雅人くんにほんと懐いちゃって。よかったら遊んであげてもらえる?』

 そう、優奈の母親に誘われ、彼女の自宅に遊びに行った時のこと。
 
 優奈は卒園に向けて、想い出をたどたどしい文字で形にしていた。
 何を書いているんだ? と覗き込んでも恥ずかしそうに持ち帰った用紙を隠して。
 
 優奈の母親に聞けば悩んで書ききれず宿題として持ち帰ったものだという。
 やがてウトウトと眠りについてしまった優奈を昼寝布団に運び、目にしたのは……恐らく幼稚園の先生が作成した可愛らしいイラストつきのアンケートのような紙。

 お決まりの『いちばんだいすきなひと』の欄。

 大きく、まだ上手だとは言えないひらがなで。
 一生懸命書かれた文字。

 "まーくん"

 目にした瞬間に、なぜだかわからないが涙が溢れそうになった。
 可愛かった。
 可愛くてたまらなかった。
 
 共働きの優奈の両親、やがて小学生にもなれば一人で過ごすことの多かった優奈を雅人と雅人の母は可愛がった。
 当時、言い寄られ彼女と呼べる女も存在したが、帰りが遅くなると『まーくんがいないから優奈ひとりでお留守番だったよ』と、小さな手が寂しそうに雅人の人差し指を握った。

 痺れるような愛しさは優奈の世界を彩る、その大部分を占めるものが自分だという、優越感と安堵感。
 考えてもみればおかしな感情だが、母を苦しみの中に繋ぎ止めてしまっている自分という存在が昇華されたように感じていたのかもしれない。
 
 その興奮を手放せなくなるのに時間は掛からなかった。

 学校や塾が終われば脇目も振らず優奈の元へ走り、それを良しとする女とは関わり、良しとしない女とは関わらない。
 雅人の中でひとつ、女を選ぶ基準が出来上がっていたのだった。

 やがて、優奈との触れ合いで母に少しだけ笑顔が戻り、稀に自宅に立ち寄った父も優奈にはデレデレとした表情を見せていたように記憶している。
 まるで歪な世界の緩衝材のようで、叩きつければ割れる心が優奈によって和らげられているように感じていたし、そして何よりも。

 雅人にとっては罪悪感から解き放ってくれる唯一の光であり、希望だったのだ。

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