愛しのフェイクディスタンス



 優奈は「はい」と短く返事をし、自分のデスクに着く。
 優奈の仕事のメインは経理を担当している恭子の手伝いと、設備メーカーとのメールや電話でのやり取り。そして、小さな現場の施工には今も携わっているので自社や委託の職人の予定管理。

 聞くところによると、昔……現社長の父親が会社を仕切っていた頃は、設計事務所の見積もり案件に参加して受注に繋げることもあったりと、建築士の先生とも関係の深い施工メインの工務店だったらしい。

 最近はハウスメーカーの下請けやリフォームが主らしく。仕事量はかなり減ったのだとか。

(まあ、よく聞く二代目ボンボン社長なのか知らないけど)


「ああ、瀬戸さん。もうお昼の用意ないから買ってきてもらえる?」
「え!? あ、はい。ただ、ごめんなさい。休みの間のメールが溜まってて返信してからでもいいですか?」

 優奈に対し、恭子はわかりやすくムッとした様子で眉をしかめた。

「朝子が対応してるでしょう、今日は外が冷えるからって言い訳してないで早く行きなさいな」
「……はい」

 確かに急ぎのメールを見ている様子はあるのだが、その中でも明らかに納期に関わりそうなものだけを抜粋している。
 中には今日の午前に終わらせなければ間に合わないものもあった。

 優奈とは別に朝子が仕事を持っているならば、もちろんそれだけで有り難く、そして申し訳ない気持ちになるのだろう。

 しかしそうではない。

 迷惑をかけたのは事実だが、それならばいつも仕事に来てくれない朝子にも言えることではないのか? 
 引き継ぎくらいしてくれてもいいんじゃないのか?

 浮かんで浮かんでどうしようもない愚痴を優奈はグッと飲み込む。

「何件かだけ、終わらせてから急いで買いに行きますので」
「……やだわ、朝子が何もしてないみたいな言い方するのね」

(そのとおりなんだってば!)

 力強くキーボードを叩き、FAXを送り、電話をする。その目の前で恭子はコーヒーを飲みながらスマホを触る。朝子は閉店休業中のマッサージ店へ向かうと言いながら今頃何をしているやら。

(なんで、私だけこんな忙しいのよ!? しかも、お昼の用意ってさぁ、昭和かっつーの!!)

 優奈の仕事は、まだあって、お昼に戻ってくる職人さんや社長に味噌汁を作ることだ。
 昔からの習慣らしいのだが、事務所の二階に上がり、野菜を切って己の仕事時間を削って作る味噌汁。
 しかも、具材が少ないと恭子からチクチクと嫌味を言われるのだ。

(……やっぱ私にはこの生活なんだよなぁ)

 雅人との再会が夢のように霞んでいく。
 容赦なく、日常は戻ってきた。
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