愛しのフェイクディスタンス


***
 
「じゃあ、戸締りはお願いね」
「はい。お疲れ様でした」

 十七時ぴったり、恭子は立ち上がりベージュのトレンチコートを優雅に羽織った。漂ってくる香水の香りに胃液が上がってきそうになる。

「瀬戸さんも、雑用しかしてないんだからあまり残業せずに帰りなさいな」
「……はい」

(私が必死に頑張ってる仕事は雑用ですかい)

 恭子はいつも定時で帰っていく。通りに面している事務所出入り口の鍵は恭子が閉めて帰るので、優奈は裏口の職人たちが行き来するドアの鍵を閉め、軽トラの奥にある資材ボックスにその鍵を隠して帰る。

(よくもまあ、こんなバカにしてる人間に戸締りを託すな……)

 優奈は、どうせ残業代など出ないのだから。と、時間を気にせずゆっくり残りの仕事ができる、この時間帯をいつも心待ちにしている。
 恭子がいなくなった空間は大きく息が吸えて、ようやく息苦しさから解放される気がするから。

 そんな毎日が、優奈の日常。

 給料は手取り十四万。
 家賃水道光熱費、あとはスマホ代で半分が消える。
 自炊する気力もなく食費で二万は消えているんじゃないだろうか? 
 いや、それでは済んでいないかもしれない。

 ある程度の服も必要だし化粧品も、たまに集まる友人との交際費や、この間のようなストレス解消の飲み代。
 いつも結局は貯金に残すお金を残すことなく次の給料日を迎えてしまう。

(もう嫌だって思うのに、どうすればいいのかわからない)


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