愛しのフェイクディスタンス


「子供じゃないんだから! 仕事変えろだの俺の会社に来いだの、何様なの!?」
「……優奈」

 握り締められた手を振り解こうと力を込めたがビクともしない。変わりに、もっと、もっと、と。大きくなっていく声。

「絶対に嫌! 私の世界にもう入ってこないでよ! 今更会いたくなんてなかったんだって、構われたくないんだって……どうしてわかっ」

「優奈!」と、今度は雅人が声を大きくした。
 途中でまた身体をふらつかせた優奈を支えて、恐ろしいものを見るように怯えた顔をする。

「まだ、体調が万全じゃないんだ。ごめん、無理をさせて」

 立ち上がった雅人が、自分と入れ替わらせるようにして半ば無理やり、優奈をベッドに横たわらせた。残る力の限り、叫び切った優奈は抵抗もせず力を抜いた。そうして、消え入りそうな声で訴える。

「ねえ、私にもプライドがあるの。自分を振り続けた男の言うままになんてなりたくない」

「わかってる」と、雅人は静かに頷いた。けれど、と。彼はまだ言葉を続ける。

「俺は元々、おはざんに就活がうまくいってないと聞いていた時点で声をかけるつもりだった」
「なによ、それ、やめてよ」
「……ああ、でも、そうだな。それがストレスになるならせめて無理は言わないから。転職して、もう少し余裕を持てるように……」

 さっきから雅人な理想論ばっかりだ。
 成功者が語る、理想論。

 転職なんて簡単に言うけれど、職を選り好みできる人間がどれほどか。溢れんばかりの才能を持つ人間には理解できないんだろう。この人は、より良い環境を自分で切り拓き作り、そして耕していける人だ。

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