愛しのフェイクディスタンス




 ――三人で当たり障りのない会話をしながら優奈は人事部へ向かうマキと別れ、奥村と経営企画のフロアに到着した。
 自席へと急ぎ、引き出しからクリップでまとめた資料を取り出す。

「奥村さん、これで大丈夫そうですか?」

 昨日、帰る前に印刷しておいてよかった。
 ざっと目を通した様子の奥村が小さく首を縦に振る。それを見た瞬間、優奈はホッと胸を撫で下ろした。

「……うん、大丈夫。これで一時間は潰れると思ってたから助かるよ」

 しかしその安堵感も束の間。

 目を輝かせ笑顔を作っていた奥村が、ゆっくりとその表情を陰らせてゆく。

「奥村さん?」

 呼びかけると奥村は、視線をこちらに合わせ、優奈を見据えた。
 そうしてゆっくりと、低い声を響かせる。

「瀬戸さんは、もっと自分の仕事に自信を持つべきだと思う」
「自信?」

 資料を手にし、すぐにでも外出するのだと思っていたけれど奥村はそうはしないようだ。優奈は首を傾げ、声の続きを待つ。

「高遠さんの存在が君にいい影響を与えてるなんて、俺は思えなくて」

 声は徐々に弱くなり、彼の前髪がその奥に浮かぶ表情を隠す。

「受け入れられない限り、君が自分を認められないなら……俺はそれが……」
「えっと、奥村さん……?」

 突然雅人の名が出たかと思えば、その後に続く言葉の意味もいまいちよくわからない。 優奈が呼びかけると、ハッとしたように目を見開いた後、奥村の表情は少しずつ青ざめていく。

「うわ! ご、ごめん! 変なこと言って。えーっと、何が言いたかったかって言うと……そうだ!」

 思いついたかのように書類を脇に抱え直し、手を叩く。

「帰り、君が帰るくらいの時間に一度戻るから……夜一緒に食べに行かない?」
「へ?」

 これまた唐突な、と。優奈は目を瞬かせた。

「あ、警戒しないで。高遠さんに君のこと任されてるのにゆっくりと話す暇もないし、さっきも元気がなかったし気になってて」
「そんな……警戒なんて、まさか!」

 優奈を妹として扱う時、嬉しいやら悲しいやら、雅人は酷く過保護だ。
 上司となっている奥村にも何かと注文をつけてくれていたりするのだろうか。
 だとするならば断ってしまえば、奥村はいつまでも不調そうな優奈を気にかけ続けなければいけないということ。

(そんなのいつまで経っても休まらないじゃんか)
 
 別に優奈に彼氏はいないし、男性と二人食事をしたところで妬いてくれるような相手もいない。
 それならばわざわざ断って、奥村の荷物をそのままにすることもない。

「気を遣ってくださってありがとうございます。そうですね、奥村さんの予定が空いてるなら、是非」

 そう考えた優奈が深く頷くと、奥村はホッとしたようにいつもの柔らかな笑顔を浮かべてくれたのだった。


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