愛しのフェイクディスタンス




 その夜、奥村に連れられやって来たのはカジュアルフレンチの店だった。
 黒が基調の店内はシックな雰囲気で落ち着いているが、壁や天井にはところどころに観葉植物が飾られており華やかさもある素敵な店内だ。

「こんなお店があったんですねぇ……、何年も住んでるのに知らなかった」

 優奈が住んでいたアパートや雅人の自宅マンションからもそう遠くない位置にあったとは驚きだ。

 入店するや否や、ほぉ……とうっとりしたため息を漏らし喜ぶ優奈に、奥村は安堵の表情を浮かべた。

 店員の女性に案内され通されたテーブルに奥村と向かい合って着席する。
 客数は多くほとんどのテーブルが埋まっているが、静かに歓談し食事を楽しむ人たちばかり。それも、美しく着飾った女性や、オーダーものに違いないだろうスーツを着こなす男性や。

 これは……、と優奈は肩を丸めて小さくなった。いや、なりたい気持ちだった。

「瀬戸さん?」

 心配そうに優奈を覗き込み首を傾げる奥村。
 彼が人懐っこく、優しく穏やかで……能ある鷹は爪を隠すを実行中の爽やかメンズだったことを……

(お忘れだった? 優奈?)

「お、奥村さんが……まーくんと同じ世界な人なのを失念しており……申し訳ございません」
「まーくん? って、高遠さんのこと? はは、そんなふうに呼ぶ許可をもらえる人がこの世にいたんだね」

 "まーくん"などと、あまりに恐ろしくて、これもまた失念。

「……すみません、動揺していまして昔の呼び方を」
「動揺?」

 心のままに行動できるならば優奈は今すぐプルプルと震え出してしまいたい。怪しすぎるので我慢しているけれど。

「客層が……もう、服からして、私普段着で。奥村さんもお美しく……私」

 半泣きの優奈を前に、奥村は堪えきれないと言った様子で吹き出した。
 表情がコロコロと変わる人だ。

「いや、はは……! 大丈夫。そんなかしこまった店じゃないよ。マキさんが好きな店だから君も気にいるかなと思ったんだ」
「マキさんも! 今度みなさんでいらっしゃる時もご一緒したいです」
「そうだよね、ぜひ」

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