椅子こん!
若い……女の子だった。
でも、そのときは何もわかっちゃいなかった。自分たちが作り上げたものが何を意味するものなのか、まるでわかっちゃいなかった。
そのときの子は死んじゃって、怪物だけが何年も、街に現れた。
いつの間にか、ぱったり話を聞かなくなってたけど──
クロ
朝食後。
「見たことがあるから」と言った少女は、その先を言わずに逃げるように皿を洗い始めてしまった。
『アサヒもちょっと片付け手伝って!』を俺に告げた後は今も黙々と片付けている。
クロの話って言いにくいものなんだろうか。
ってことで手持無沙汰な俺は、素直にそうして再び部屋の掃除をすることに。どうせ暇だし。
(この部屋で、コリゴリが死んだのか……)
改めて見ても部屋は本当に酷い荒れようだった。棚は倒され、床に血が飛び散り、紙や物が散乱している。
けれど、この荒れようは、彼女たちが戦ったという証拠。
あちこちに残る血痕は、彼女たちが自分の気持ちと戦って出来た、生きる証。悲しくも、愛しいような、そんな気がして──少しだけ勿体ない気がして、せつなくなる。
(それでも、片付けないと過ごしにくいことくらいわかっている)
がさ、がさ、と紙をまとめる音が静かな部屋に響く。
一面に広がる血や何かの汚れを拭き取る。
──少し、胸が、痛い。
床に大量あった『あの紙』は、既にいくらかなくなっては居たが、まだ部屋のあちこちに散らばる盗撮写真や虐めのような言葉が並ぶチラシがないわけではなくて、見つかるその数々にうんざりする。
なんだか馬鹿らしかった。
「こんなことが、観察屋の本当の使われ方だったなんてな……」
非道だ。鬼畜だ。
『これ』を撮ったやつを殴りたい。
もしかしたら依頼されただけかもしれないけど、これだけ見たら、そりゃ思うだろうな。俺だって思う。
そして黒幕はいつも尻尾を切るだけ。悪天候フライトまでして、やることなのか。コリゴリも、もしかしたらエリートになってまでやらされていたことが何かに気が付いてしまったのかもしれない。
本当のことは、もうわからない。
──俺にはただ、『こんな部屋』で楽しそうに暮らしてほのぼのと会話しているなんて狂気を、頭が固いか脳筋、に極端に偏った『英才教育』のエリート観察屋が受け入れられたように思えなくて……ちょっとだけ、言葉に出来ない何かを、思う。
(──そういえば、少女があのとき椅子と戦っていた『あのよくわからない存在』は、このような紙から這い出てきて部屋中を動いていたような気がする)
ゾッとする。あれに怯えながら暮らすなんて、とてもじゃないが正気を保てる自信がない。
ただでさえ、こんな文字や写真、嬉しくないだろうに。
(──写真か)
写真は魂を映す。魂を吸いとられる、昔の人たちはよくそんなことを口にしている。
うちの父母も、写真が苦手だった。
小さい頃は写真ごときで魂を吸いとられるなんてわけはないと馬鹿にしていたし、撮影に何時間も動かずに居なくてはならなかったための貧血という何かの解説を信じていたんだが──本当に、それだけだったのか?
もしかしたら昔の人たちは『あれが』見えていたのではないか。見えなくとも、よくない使われ方をすると何が起きるかを薄々感じていたのかもしれない。
もしかしたら、俺が観察屋になるより前から、あれは居て、あれを呼び出すだけの依り代を観察屋が作っていたのだろうか。
……だとしたらあれは、俺たちが産み出した、俺たちの罪。
(──もし、彼女や誰かを『悪魔』として隔離してまで、ギョウザさんたちが『この事実』をずっと隠してるんだとしたら……)
「どうかしたの?」
──声がかかって、我に返る。
少女が食器を片付け終えてこちらに来ていた。
「いや、その……」
思わずこちらまで目をそらしてしまったが、周りがあちこち血だらけなので余計に気まずくなった。
「……すごい、部屋だなって」
言ってから、失言かもしれないと慌てる。
「あ、いや、違う……俺に出来ることが、あれば良いんだけど──その……えっと」
「ありがとう」
彼女は少しだけ寂しそうに笑った。
「──私、あの子に会ったときも、
この紙に囲まれたときも、思ったの、観察屋が使ってきたあの紙から嫌なものが生み出せるなら、きっと逆も出来るって」
迫害にあっても、44街があんな風に自分を遠ざけても、そんな風に考えるものなんだろうか。こんな風に、笑うものなんだろうか。
「……逆」
「観察屋が生み出したものが、すべてが敵意を持つ存在に変わるとしても、きっと、依り代になった存在がそれを望んだかはわからない。だから、きっと逆のことが出来る、私にもアサヒにも。それが出来たらきっと何かがわかる気がする」
いつだって見えるものは嘘だらけだ。幸せそうなのは、幸せだからじゃない。辛そうにするのは、辛いからとは限らない。
それでも幸せを錯覚しているかのような、幸せを享受しているかのような。
「──よく──わからないけれど、それを、やればいいのか」
「うん。きっと出来る」
スケールが大きいな、と言おうと思った。けれど、それだけ44街から隔離されている彼女は既にそういった大きな影響力の枠組みだった。
「孤独に亡くなって、また孤独を思い出す光景に縛られてしまうより少しでも──孤独以外も思い出して、楽しい思いをしてほしい。せっかく神様なんだから」
何かに急いているようだった。何を想っているかは、よくわからない。
「……きっと──、ううん……見張られて居ても、蔑まれていても『私は』まだ、生きていて、失ったわけじゃない」
「えっと、何を──言って、るんだ?」
「アサヒは、言ってたよね、湖の場所にアパートが建ったから、人魚さんはアパートに住むしかなくなった」
「──あぁ」
「村人さんが亡くなったとき、きっと、スキダも住む場所がなくなってしまってたと思う」
「戦っていたくせに、妙なところに引っ掛かるやつだな」
「そう? 人間とかが苦手なだけだよ」
俺が棚の中身を整理する横で、雑巾で床を拭きながら彼女は淡々と言って、そしてふと、さっきより真面目な声で聞いた。
「──さっき部屋を見て、自分も観察屋だったから、あれを生み出す一因になったって、だから出来ることはって思ったでしょ?」
「──あぁ」
確かにその通りだった。
なんだか、確信的な言い方だが、コリゴリも、そうだったんだろうか。
「アサヒがどうするのか──何が一番か私にはわからない。けど、だから、そのために、
まずは旅が成功することかな。
マカロニさんのことがわかれば、あの女の子のこととか、何か役にたつかもしれないからね」
なんだか誤魔化された気がして、少しムッとしながら問い掛ける。
「自分の、願いはないのか」
「私も、アサヒがする旅に意味があると思う──そんな気がする」
「だから──!」
「私は、私で在ることが願いだよ」
カチャ、と陶器の音がして、棚に食器が並ぶ。彼女は背後の流しでバケツの水を変えながら呟いた。
今度は、冷えきった声だった。
「おばあちゃんも、お母さんも、戸籍屋に個人情報を奪われて居なくなったから」
なんだか背筋が寒くなってきた。
居なくなった、それは以前にも言っていた言葉だ。亡くなったとか、家出したとかそんな感じじゃなく、まるで消えてなくなったとでも言うような──
「個人情報を奪って、どうするか知ってる? 整形して、近所に住んで、言葉を真似て──それが現代医学でできてしまう。
小さい頃、私はそれを目の当たりにした」
彼女が隔離され続けて、自分からは自分の情報をほとんど出さないようにしていたのは、お母さんから聞いた悪魔、の教えを守って居たからだという。知らなければ整形も性格を真似ることもない。
そう、思っていた。
「お母さんたちが居なくなった後、犯人はクロかもしれない、そう教えてくれた人が居てね──
お母さんの知り合いっていうその人が撮ったっていう写真には、お母さんの背後にお母さんに似た人物がまるでエキストラみたいに、映っていた」
でも、そのときは何もわかっちゃいなかった。自分たちが作り上げたものが何を意味するものなのか、まるでわかっちゃいなかった。
そのときの子は死んじゃって、怪物だけが何年も、街に現れた。
いつの間にか、ぱったり話を聞かなくなってたけど──
クロ
朝食後。
「見たことがあるから」と言った少女は、その先を言わずに逃げるように皿を洗い始めてしまった。
『アサヒもちょっと片付け手伝って!』を俺に告げた後は今も黙々と片付けている。
クロの話って言いにくいものなんだろうか。
ってことで手持無沙汰な俺は、素直にそうして再び部屋の掃除をすることに。どうせ暇だし。
(この部屋で、コリゴリが死んだのか……)
改めて見ても部屋は本当に酷い荒れようだった。棚は倒され、床に血が飛び散り、紙や物が散乱している。
けれど、この荒れようは、彼女たちが戦ったという証拠。
あちこちに残る血痕は、彼女たちが自分の気持ちと戦って出来た、生きる証。悲しくも、愛しいような、そんな気がして──少しだけ勿体ない気がして、せつなくなる。
(それでも、片付けないと過ごしにくいことくらいわかっている)
がさ、がさ、と紙をまとめる音が静かな部屋に響く。
一面に広がる血や何かの汚れを拭き取る。
──少し、胸が、痛い。
床に大量あった『あの紙』は、既にいくらかなくなっては居たが、まだ部屋のあちこちに散らばる盗撮写真や虐めのような言葉が並ぶチラシがないわけではなくて、見つかるその数々にうんざりする。
なんだか馬鹿らしかった。
「こんなことが、観察屋の本当の使われ方だったなんてな……」
非道だ。鬼畜だ。
『これ』を撮ったやつを殴りたい。
もしかしたら依頼されただけかもしれないけど、これだけ見たら、そりゃ思うだろうな。俺だって思う。
そして黒幕はいつも尻尾を切るだけ。悪天候フライトまでして、やることなのか。コリゴリも、もしかしたらエリートになってまでやらされていたことが何かに気が付いてしまったのかもしれない。
本当のことは、もうわからない。
──俺にはただ、『こんな部屋』で楽しそうに暮らしてほのぼのと会話しているなんて狂気を、頭が固いか脳筋、に極端に偏った『英才教育』のエリート観察屋が受け入れられたように思えなくて……ちょっとだけ、言葉に出来ない何かを、思う。
(──そういえば、少女があのとき椅子と戦っていた『あのよくわからない存在』は、このような紙から這い出てきて部屋中を動いていたような気がする)
ゾッとする。あれに怯えながら暮らすなんて、とてもじゃないが正気を保てる自信がない。
ただでさえ、こんな文字や写真、嬉しくないだろうに。
(──写真か)
写真は魂を映す。魂を吸いとられる、昔の人たちはよくそんなことを口にしている。
うちの父母も、写真が苦手だった。
小さい頃は写真ごときで魂を吸いとられるなんてわけはないと馬鹿にしていたし、撮影に何時間も動かずに居なくてはならなかったための貧血という何かの解説を信じていたんだが──本当に、それだけだったのか?
もしかしたら昔の人たちは『あれが』見えていたのではないか。見えなくとも、よくない使われ方をすると何が起きるかを薄々感じていたのかもしれない。
もしかしたら、俺が観察屋になるより前から、あれは居て、あれを呼び出すだけの依り代を観察屋が作っていたのだろうか。
……だとしたらあれは、俺たちが産み出した、俺たちの罪。
(──もし、彼女や誰かを『悪魔』として隔離してまで、ギョウザさんたちが『この事実』をずっと隠してるんだとしたら……)
「どうかしたの?」
──声がかかって、我に返る。
少女が食器を片付け終えてこちらに来ていた。
「いや、その……」
思わずこちらまで目をそらしてしまったが、周りがあちこち血だらけなので余計に気まずくなった。
「……すごい、部屋だなって」
言ってから、失言かもしれないと慌てる。
「あ、いや、違う……俺に出来ることが、あれば良いんだけど──その……えっと」
「ありがとう」
彼女は少しだけ寂しそうに笑った。
「──私、あの子に会ったときも、
この紙に囲まれたときも、思ったの、観察屋が使ってきたあの紙から嫌なものが生み出せるなら、きっと逆も出来るって」
迫害にあっても、44街があんな風に自分を遠ざけても、そんな風に考えるものなんだろうか。こんな風に、笑うものなんだろうか。
「……逆」
「観察屋が生み出したものが、すべてが敵意を持つ存在に変わるとしても、きっと、依り代になった存在がそれを望んだかはわからない。だから、きっと逆のことが出来る、私にもアサヒにも。それが出来たらきっと何かがわかる気がする」
いつだって見えるものは嘘だらけだ。幸せそうなのは、幸せだからじゃない。辛そうにするのは、辛いからとは限らない。
それでも幸せを錯覚しているかのような、幸せを享受しているかのような。
「──よく──わからないけれど、それを、やればいいのか」
「うん。きっと出来る」
スケールが大きいな、と言おうと思った。けれど、それだけ44街から隔離されている彼女は既にそういった大きな影響力の枠組みだった。
「孤独に亡くなって、また孤独を思い出す光景に縛られてしまうより少しでも──孤独以外も思い出して、楽しい思いをしてほしい。せっかく神様なんだから」
何かに急いているようだった。何を想っているかは、よくわからない。
「……きっと──、ううん……見張られて居ても、蔑まれていても『私は』まだ、生きていて、失ったわけじゃない」
「えっと、何を──言って、るんだ?」
「アサヒは、言ってたよね、湖の場所にアパートが建ったから、人魚さんはアパートに住むしかなくなった」
「──あぁ」
「村人さんが亡くなったとき、きっと、スキダも住む場所がなくなってしまってたと思う」
「戦っていたくせに、妙なところに引っ掛かるやつだな」
「そう? 人間とかが苦手なだけだよ」
俺が棚の中身を整理する横で、雑巾で床を拭きながら彼女は淡々と言って、そしてふと、さっきより真面目な声で聞いた。
「──さっき部屋を見て、自分も観察屋だったから、あれを生み出す一因になったって、だから出来ることはって思ったでしょ?」
「──あぁ」
確かにその通りだった。
なんだか、確信的な言い方だが、コリゴリも、そうだったんだろうか。
「アサヒがどうするのか──何が一番か私にはわからない。けど、だから、そのために、
まずは旅が成功することかな。
マカロニさんのことがわかれば、あの女の子のこととか、何か役にたつかもしれないからね」
なんだか誤魔化された気がして、少しムッとしながら問い掛ける。
「自分の、願いはないのか」
「私も、アサヒがする旅に意味があると思う──そんな気がする」
「だから──!」
「私は、私で在ることが願いだよ」
カチャ、と陶器の音がして、棚に食器が並ぶ。彼女は背後の流しでバケツの水を変えながら呟いた。
今度は、冷えきった声だった。
「おばあちゃんも、お母さんも、戸籍屋に個人情報を奪われて居なくなったから」
なんだか背筋が寒くなってきた。
居なくなった、それは以前にも言っていた言葉だ。亡くなったとか、家出したとかそんな感じじゃなく、まるで消えてなくなったとでも言うような──
「個人情報を奪って、どうするか知ってる? 整形して、近所に住んで、言葉を真似て──それが現代医学でできてしまう。
小さい頃、私はそれを目の当たりにした」
彼女が隔離され続けて、自分からは自分の情報をほとんど出さないようにしていたのは、お母さんから聞いた悪魔、の教えを守って居たからだという。知らなければ整形も性格を真似ることもない。
そう、思っていた。
「お母さんたちが居なくなった後、犯人はクロかもしれない、そう教えてくれた人が居てね──
お母さんの知り合いっていうその人が撮ったっていう写真には、お母さんの背後にお母さんに似た人物がまるでエキストラみたいに、映っていた」