ゆびきりげんまん
 それからは私にとって地獄の日々が続いた。
 
 ともちゃんは葵君を見つけると、積極的に、


「王子、おはよう!」


 と声をかけるようになった。


「おはようございます」


 葵君の礼儀正しいテナーの声が耳に痛かった。

 私は、声をかけるともちゃんの顔を見ることも、挨拶を返す葵君の顔を見ることも、どちらも辛くて出来なかった。

 ただ、私だけ何もせずに突っ立ってる訳にもいかないので、目をそらして軽く会釈をしていた。


 本当に辛い日々。

 葵君を忘れたいのに、ともちゃんの横で葵君の声を、気配を、感じなければいけないなんて。



 私はピアノの練習が苦痛になった。

 葵君も練習している曲。

 相合傘をした日は同じ曲を練習していることがとても嬉しかったのに。今は葵君が頭をちらちらとよぎり、胸が痛くなる。



 それに、私は気付いていた。

 以前は、挨拶の後についていた「日向先輩」という言葉がなくなっていることに。

 自分でそうなるような態度をとっている自覚はある。それでもやっぱり辛いと思う自分がいた。


 本当に私、バカみたい。自分が何をしたいのか、何をしたらいいのか、よく分からない。
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